断捨離の小瓶。
一年くらい前に書いた、遺書の下書きを捨てた。
自分の内側を洗いざらい、全部吐き出したはずの遺書だったのに、
見て見ないふりしていた部分とか、
ちょっぴり嘘をついていた部分とか、
そういうのがちらほらあって、
あー、私自分を終わらせるのさえ
カッコつけたかったのね(笑)
って、苦笑いした。
ちょっとだけ大人になったのかしら。
最近は自分を大事にできなかったことに対する後悔が多い。
自己犠牲が美徳だと信じて疑わなかった私がこのことを悔やむ日が来るなんて!
また小さな揺り返しが続いて
相変わらずやじろべえ状態な私だけれど、
薄幸の美少女に憧れるのは、もうやめよう。
私だって強運の美少女になれるはず!
(顔の造形は美少女になれないだろうけれど)
泣きつかれたのに涙が止まない
子どもの部分の私を、
いい子いい子ってできる誰かに、私に、
会いたいな。
あー、勉強しなきゃ…
(机に広げた教材を見ながら)
まだ負けません。
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俺もそんな感じのやら、色々書いてたな。
今になってしまうともう、濃すぎて再び読み返す気にはなれないけど(まだ残ってる笑)、まあ俺のも俺のでカッコつけようと取り繕ってたり、黒歴史的な痛々しいのはあった(苦笑)
例え話だがね、自分自身に依存されるみたいな事になっても、お互い寄りかかりあっていつ崩れるかわからないような状態にならず、かといって強く突っぱね過ぎず、立ったままでいられるのは大事だよな。
という事はまあ、たとえまた揺り返しが来ようとも大丈夫さ。
昔の自分を見ても距離を保って、ちゃんと立っていられるんだから。
もう、その片鱗が見えるというか、歩いた分、身についたものはそれなりにあったんじゃないかと思う。
win-winって言ったら、そもそも勝ち負けの土俵ではないというか、少し違和感を感じるんだけど、一方が損をし続けるというか、立っていられなくなるような自己犠牲とかボランティアは、出来ない訳でなくとも続きにくいよな。
よく知らんが確か、それっぽい事をナイチンゲールさんも言ってた気がする。
間違いなくお節介だろうが、都合のいい子じゃなく、いい子に。
自分が「いい」と思える自分自身になれるように、頑張れよ。
多分、揺り返しってリバウンドみたいな感じで、ある種の生存本能みたいなものかもしれん。
もちろん辛さはあるんだと思うけれどもね、動いてりゃ徐々に最適化されるだろうし、真に元へ戻るという訳ではないから、そういう意味では通過点のようなもので、大したことはないかもね。
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