受験勉強と、心の話。
時々、勉強が手につかない日(期間)というのがある。
夏休みに入ってからそれが顕著になった。
勉強が手に付かなくなる理由としては、
大嫌いな学校と密接に関係しているからというのもあるけれども、
今回ばかりは違う。
昔から、自分は幸せになってはいけないのだという思い込みがある。
殊、勉強に関しては、いずれは成績が落ちなければいけないのだと心のどこかでいつも思ってきた。
幸せになってはいけない。
成績が落ちなければいけない。
志望校に合格してはいけない。
こんな気持ちが(言語化されていない状態で)
ぐるぐると渦巻いている。
頂いたお返事の言葉を借りるけれど、
幸せになる許可、というのを自分にできていなくて、
それが今勉強が手につかないという形で自分にのしかかってきているんだろうなって。
そういえば中3の高校受験の時もこんな状態になっていたけれど、
あの時の気持ちも言語化したらきっとこれだったんだろうなぁ。
言語化して認識したのはいいものの、
さてどうやってここから脱却しようか。
克服していかなければならない課題のひとつなのはわかっているつもり。
今までの承認欲求主体の私なら、
体や心を壊してでも頑張れたのになぁ。
自己改革のタイミング、間違えたのかなぁ、なんて。
そもそも、幸せになっていいんだって、
心以前に頭で理解しきれていない。
もやもやしつつ、行動できない、しない。
結局これに縋ってサボりたいだけなのを認めたくないのかもしれない。
わかんない。
とりあえず時間的にそろそろ寝なくちゃ。
50226通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
りぃふ
(小瓶主)
だいぶ遅れましたが、お返事を返します。
まりちゃんさん
いつもお返事ありがとうございます。
小学生の頃、周囲に「優等生」と過大評価され、評価に応えられなかったらどうしようという不安感を抱き、みんなを騙しているような罪悪感が芽生え始めた頃から幸せになってはいけないと感じるようになりました。
要求に応えられない自分は悪い子。
だから幸せになってはいけない。
こういう図式なのだと思います。
あと男女関係に関して言えば、小さい頃から父にずっと
「お前は将来ろくでもない奴にひっかかるんだ」と言われ続けていたので、無意識でそれを体現しようとしているとか。
(ちなみに2分の2で大当たり…)
そういえば小さい頃、薄幸の美少女に憧れていました。
健気に、悲劇的に死ねたらみんな同情してくれるのかなって。
結局、他人依存の私でいる限り満たされないのだと思います。
でも、そっちの方が慣れているし、楽なんだよな〜…。
まだまだぐらぐらですが、ちゃんと自分の足で立てたら安定するのかな、なんて淡い期待を抱いています。
烏羽さん
いつもお返事ありがとうございます。
烏羽さんが謝られていたようなことはないので気にしないでください!
文章至らずで心配をおかけしてしまってすみません。
今回、お返事を返すのに時間がかかってしまったのは、烏羽さんの「そもそも幸せになりたいのか」という問いをずっと考えていたからです。
たしかに幸せになりたい。
けれど、幸せの温度に慣れたあとに来る不幸が怖いと感じます。
取らぬ狸の皮算用(ニュアンスちょっと違う?)というか、当たってもいない宝くじのお金が盗まれる心配をしているようなものです(笑)
去年の今頃は、現状から脱却しなきゃというよくわからない焦りに突き動かされて、頭の中でも現実の行動でももがいていましたが、
その衝動が落ち着きつつある今、自分の行動原理みたいなものがぐらぐらになっている節があります。
直近の進路に関しては、だいぶ覚悟みたいなものができてきて、高校卒業→どっかの大学(受験の結果次第)というラインが固まりつつあるのですが、
その先でやりたいこと・なりたいものの行動原理が自分主体なのか、他人依存なのかが曖昧で不安定なのが心配です。
「幸せを探す人が一番幸せなんだって」という歌詞がふと浮かびました。
学校と勉強とで毎日自分との戦いですが、
逃げたという後悔だけはしたくないので、まだまだ負けずに粘ろうと思います。
試験続きで疲れているけれど、めげてなんかいられない!
烏羽
そうか。
いやでも、体も心も壊したら、一時的には良くても最終的に動けなくなっちゃうやんけ。
…というのはおいといて。
思った事を書いて、纏まりがない&何時ものように長くなりましたので、そこら辺(時間的な事)は気を付けて下さい。
あと、謝っておきたい事があるんだけど、りぃふさんに幸せになってはいけないと思う部分がある事を見落としたというか、自分でも似たような思いをした事があったのに、思い至らなかったのが申し訳ない。
以前俺が、幸せな事が続くと、突然来た不幸が重くなるとか、それについて緩和材だとかなんとか言ってたと思うが、そういう事が幸せになりたくない気持ちに対して、引っかかってしまったのかもしれないと思った。
だから、本当にすみません。
自分自身で気を付ける意識はあっても、俺はそんな感じで間違った事や、問題になるような事を書いてる時もあるので、甚だしいかもしれませんが、その上で、もしよろしければ、気を付けて読んで頂ければと思います。
…それで、性懲りもないんだけど、自分と向き合う事というか、辛い事を聞く事になるのかもしれないけれど、大丈夫だろうか。
申し訳ないが、今一度確認しておきたい。
幸せになりたい、という思いはまだあるんだよね?
つまる所、幸せになる事を許可したい、という思いはある?
(あるんだったら、それが脱却の糸口に関わる事もあるかと個人的には思ったんで)
それと、あってもなくても良いんだけど、進路というか、何のために勉強をするのか、あるいはしたいと思えるのか、そういう思いは何か、ちょっとした事でも、あるかな。
(単に、勉強は、したいか?したい気持ちがあるか?興味があるか?的な事だけでも良いと思う)
確か以前の小瓶で、いい大学に入りたい、いい会社に入って、お金を稼ぎたい、いい暮らしをしたいと書かれていたような気もするけれど、あれは先生の話をするための都合上だっけか。
とにかく、個人的に聞きたいだけなので無理にはお返事して欲しくないし、思い描ける範囲で、もし書けるなら書ける範囲で良いんで。
わからないならわからないでいいと思うし、わからないその為に、選択肢を増やす為に先へ進むという考え方も出来ると思うから。
うーんとね、なんだろね…。
幸せになる許可を出せない、って事についてなんだけど、俺自身の事から勝手考えて見ると(ある種の投影)、昔のりぃふさんの行動は親が決めていた部分もあったみたいだし、それの名残的な部分なのかなと思った。
それが悪いってんじゃないし、変えろってつもりもないけど、幸せになる許可というか、自分自身を上の立場的な意識からセーブしなくても、行動出来たり、行動する事で上手く行く事もない訳ではなかったかと思うんね。
行動の理由が誰か他の人主体であろうと、自分自身が行動するというのは基本的にやって来た事かと思うから。
ただ、なんというか、理由はちょっと上手く言葉にできないんだけど、もしかすると自分自身を守るだとか、誰かを守るだとかの延長線上に、自分への行動の制限のようなものがある気がして。
それと、俺自身の話になるけど、自分自身これで良いのかと思うような事や、なんか引っかかりを覚えてしたくなくなった時って、今頑張ろうとしてるからこその、表には出て来難い、なんかしらの不安だったり、不満だったりのストレスを抱えている事が多かったような気がする。
なんだろね、比較的、自分も含めて、真面目で一生懸命だと捉えられるような人に多い気がするんだけど、自分自身の気持ちを遮って、物事をやり通そうとする事が出来る力、的なものは長所でもあるんだけども、メリットがあればデメリットもあると思うから。
もしかすると、そういう面から来るものもあるのかな?と。
まあ、面倒臭い気持ちも、行動出来ないのも良いじゃん。
勉強をしたくない時だってあるだろうし、ずっと同じような事を続けていると飽きがくるかもしれない、体だって動かしたくなるかもしれない。そのサインの表れもあるかもしれない。
遊んだっていいやんけ。勉強はちゃんとしてるんだから。
…正直な所、なんでそんな沢山の事、興味もないのに勉強せにゃならんのだと思う事はある。
結局、働く中で使わない事ばかりで、気付いたら忘れているような事ばかり覚えもする。
ただ、基本的に勉強の根幹としては、「頭を使う事」があると思うので、いつの間にか頭の使い方だったり、考え方、記憶力、言語的な力が養われたりもするだろう。
…でも、実はそういうものが、それ以外の、学校で教えてもらう事や、それについての勉強以外の、遊びや、ゲームや、漫画や本で培われないという事でもなかったりする。
俺はぶっちゃけ今も、本当に、興味もないのに、学ぶ必要があるのか?と疑問に思う事は多い。
したくない事も出来るようになるというのは、広い目で見たら…、例えば食べ物の好き嫌いだというのなら、食べられるものの幅が広がったりもする。
それは長所にも繋がりうる事があるし、ある程度はあった方が生きやすくなるというか、楽な事も多くなるだろうけど、全てを好きになろうとしなくても、極論、流石に言い過ぎだとも思うが、好きなものだけ食べる事でも生きてはいける。
小学校からでも、中卒でも高卒でも、大卒でも、社会に出てから得られる賃金の差はあるけれど、働ける時期の選択肢はいっぱいあったりする。
あんまり関係ないから流し読みでいいけど、世間体だとか、採用されにくいだとかの理由で、大卒まで行くのが当然の風潮が以前あったように思う。
それは変だと思うんよね。色んな人がいて、働ける時期の選択肢も沢山あって、なのに企業がそれを選り好みし過ぎたりして(求める基準の目安としては良いのかもしれないけど、年度毎にそれぞれの教育機関で教える事もやる事も、そのもとで学ぶ事も変わるだろうし、卒業証書があってもどんな能力があるかなんて人それぞれだし)、それを就職しようとか、高校大学に進もうという人の選択肢を狭めてしまっている場合がある。
男女平等とか話題になったりもするけど、機会の平等とは一体なんなのか、考えちゃったりもする。
(学校やら企業やらの資金的に、定員とかもあるとは思うけどね)
話を聞いたり、テレビで見ただけだけど、身体障害者の人や、知的障害のある人だって、何度か当事者がわかるよう、わかるまで説明したりすれば、多くの事をすぐには出来なくても、ちゃんと出来ていくようになるらしいし。
学ぼうとする意志や、周りの協力があれば、学歴とかに拘らなくても仕事の中とかで必要な事を学ぶ事は出来るし、カバーする事も可能だろうし、自分的にはなんかモヤモヤするものがある。
俺自身、これから大学行こうか行くまいかとか、悩んだりしてるんだけど…、なんかね。
杞憂かもしれないけど、社会に出にくいようになってしまっているんじゃないかとか、就職しようとか、こんな事がしたいと頑張っても何度も落ちてしまって、俺とは別にそれで疲れて引きこもってしまう人もいるみたいだし、高齢化社会的問題や、一人一人の心や人間関係の問題のある中で、自殺者だって多くいる中で、本当にこれでいいのかっていうか、ね。
…あー、まあ、よく考えればそういうのに関わろうとするのも悪くはないのか。
…というか、国を構成する人民の一員として、常に関わってはいるっちゃいるか。
どうすっかなー、俺の進路。
りぃふさんもまだ決まってないなら、今じゃなくてもいいけど、じっくり考えてみる時間があってもいいかもしれない。
ご両親がどう思うかはわからないけれど、その為に引きこもってみるというか、そこまでいかなくとも、自分一人になれる、自分の時間は大切かもしれないと思った。
ただ、今の俺の状況というかね、引きこもるだとか、色んな事に言える事だけど、自制の問題的に、ルールや規則なんてないから、どうしても間延びして、ダラダラしちゃう事はある。
だから、ある程度は、自分自身でいつまでに答えを出すとか、この曜日は考える日だとか、目標や規則を決めておいた方がいい事もあるかもしれない。
もちろん、高熱出てヤバイとか、もう疲れて怠くて気力が起きないとか、そういう時は、するなとは言えないけど、無理は程ほどにしたり、緩めたり。
自分からの許可を得ようとするのも大事だし、誰か主体だとかそれでもいい。それらを原動力に活かす事も出来るんだから。
だけど、情に訴えかけるようであまり言いたくなかったが、やっぱり体や心を壊してまでとなると、俺は心配だ。
…あと、そういえばとふと思ったんだけれど、幸せになろうとするって、どういう事だと思う?
俺は、今というか、この小瓶でりぃふさんが四苦八苦して、悩んでる、それ自体だと思う。
自分に許可がなければ動けないという訳でもないと思うし、ある程度のものかもしれないけど、心でも頭でも、理解はあるとも思うよ。
厳密には、現実にあるような争い、戦いとは言えないのだろうし、俺のせいもあったかもしれないから、どの口がとも思うけれど、自分自身に負けないで欲しい。
まりちゃん
しあわせになると、都合が悪いことってあるのかも?
それ、脳内グルグルより、書き出してみたり
声に出してみると
なんか、見えてくることもあるぞ!
おやすみなさーーい!
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。