生きる理由について考えていた。
ちょっと自分の話になってしまい恐縮だが、ぼくの親はでき婚の早期離婚だ。
赤ん坊以来父親と会ったことは無い。
ぼくはその後母親から虐待された所謂「いらない子」であり、
両親からはっきりと拒絶された存在だ。今は大人で自立しているけど。
ぼくは子供の頃、必要とされて生まれてきた子供が本当に羨ましかった。
だがしかし、だからといって親に「あなたが必要、産みたくて産んだ」と言われても、
それはそれで何となくモノ扱いされて所有されてるみたいで屈辱的だ。
自分は自分のものであって、親のものでも、友達のものでも、会社のものでも、恋人のものでもない。
何かや誰かに自分の存在理由を与えられることは不自由で、それはそれで何となくつらい。
でも自分で作り出した意味だけで生きていると、夜布団の中で寂しくて涙が出てくる。
大切にされることや必要とされることと、所有されることは同じな気がするが、
もしかしたらそれは誤った理解で、自分が間違っているかも知れない。
同じ疑問や体験を共有している人や、違いを説明できる人の話が聞いてみたい。