愛してほしい。
『愛されるためにはまず愛しなさい』というようなコラムをよく見ます。『愛されたいという前に自分で自分を愛しましょう』という事を言ってる人をよく見ます。
はっきり言って、そんな言葉のとおりに出来ていたら、私は愛されたいなんて思いません。
私なりに周りを愛しても、愛は返ってはきません。自分が大嫌いな私は自分を愛せません。でも、愛されたい。寂しくて悲しくて虚しくて愛されたいとなきながら、死にたいと望んでいます。
私の家はちょっとした旧家です。家の事を、私は好きです。継ぐことも嫌ではありません。むしろ、喜んで継いで次の世代へ家を託したいと考えています。
家を継ぐために大学まで行かせてもらい、勉強しました。
でも、今更と言ってはあれなのですが、継ぎたくない、という気持ちが湧いてきています。
大学進学のために一人暮らしを始め、家を出たことがきっかけでしょう。
それは、前々から薄々ではあるけれど気づいていた事が、家というものを出たことにより、はっきりと見えるようになってしまったからでした。
私の家族は、家族という皮をかぶった他人でした。父も母も弟も祖母も、家族の振りをしていただけでお互いのことを何も考えない、ただの個人だったと、気付かされました。家庭なんてもの、私の家にはなかったのです。
分かっていたことでした。
父は母が嫌いで、母も父を嫌いで、父は祖母を嫌いで、母も祖母をきらいで、祖母も息子夫婦をきらいで、弟は私を嫌いで、私は彼らを愛そうと懸命に生きていました。
私が皆を嫌えばそれで家庭はおしまいだと思っていました。
周りの幸せそうな友達の当たり前の家庭を、羨ましいと思わないように、そう思ってしまえば虚しくなってしまうとわかっていたので、必死に取り繕い、私の家族は理想の家族であると他でもない自分自身に言い聞かせてきました。
もう、限界でした。
はじめに嫌いに放ったのは父でした。酒飲みで今いる場所がどこか分からなくなるほど飲み、外へ出ると帰ってこない、タクシーに乗るも自宅を言えないため適当な場所で下ろされた事もありました。夜中にかかってきた電話で起こされ、父を探して車を走らせました。タバコをたくさん吸う父は酔って火をつけボヤ騒ぎを起こしました。もう少し遅ければ家は燃え崩れ落ちていました。部屋は汚く足の踏み場もありません。書類が散らばり、父の部屋にあるソファーはもう10数年座れないでいます。
私はもう父を好きだと言えなくなりました。
次は母の番でした。
家を空け、外へ遊び歩く母。私が帰省するとこれ幸いにと家事をすべて私に押し付け、外へ出ていきます。家族分の食費を私が出し、料理をし、洗濯をして乾くとたたんで、掃除をします。専業主婦な母。きいてあきれます。毎日足袋を履く家なので足袋は沢山あるのですが、その足袋達は洗ったきり、半年も干しっぱなしで蜘蛛の巣がはっています。
注意しても言い訳ばかり。自分しか見えてないそんな人でした。
私は母を好きと言えなくなりました。
弟は気に食わないことがあるとすぐ不貞腐れ、感謝の言葉を言えない人でした。
元から好きではありませんでした。
最後は祖母でした。
祖母は、自ら他人に近づかず、自分から遠ざかり、引きこもる人でした。現状を変えるために自分から動くことはせず、しかし周りの愚痴は言い、孫である私の前で父の悪口母の悪口を言うことは日常でした。頑固な人でした。絶対に何があっても自分の非を認めない人でした。
祖母を好きではなくなりました。
こんな人達と血が繋がっていることが、こんな人達と血の繋がった自分が嫌いです。彼らの片鱗が、私自身の行動に現れ、血縁を意識してしまいます。私は私が嫌いです。皆を愛せなかった私が嫌いです。
私は、父のような側面も母のような側面も祖母のような側面も弟のような側面も持っています。自分で分かってしまいます。私が嫌った人達に私が似ていく事が嫌です。
私が嫌った人達に似た私を愛してくれる人なんていないでしょう。
これだけつらつら書いておいて、愛とはなにか私はわかりません。
好きだと言われれば満足するのか、
愛してると言われたいのか、
頭を撫でてほしいのか、
手を繋いでほしいのか、
抱きしめあったまま眠りにつきたいのか、
一緒に死んで欲しいのか、
私が何を求めているのか私自身にもわかりません。ただ、愛されたい、と声に出ます。
何が欲しいかと言われれば、愛が欲しいと答えます。
いっそ、死ねば楽になるのに、それをする勇気も私にはないのです。
マンションの屋上のフェンスを乗り越えたり、体の感覚がなくなるまで雪に埋まったり、カッターの歯を出して見つめたり、
私に出来るのはその程度なのです。
痛いのは、嫌で、それで、死ねない。
もう、どうしたらいいのか分かりません。
死ぬ勇気すらない私は、自殺未遂すらできない私は、きっとこのまま愛されたいと鳴きながら、生きていくのだと思います。
両親や家に関わりのある周りの方からの期待を一新に受け、その身を旧家の骨組みとするのです。血を残すために、別段好きでもない許嫁と結婚をし、子を孕んで産み落とし、家を回す歯車のひとつになって生きて、死んでいくことでしょう。
せめて私から産み落ちた子に、愛を知らない私なりの愛を与えながら。
名前のない小瓶
51644通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
私と同じ苦しみを抱えた方がいるのだなと。何もかも全て、自分の気持ちを文章にしたかのようです。あなたと同じ苦しみを抱えた者がここにいますよとお伝えしたいです。
ななしさん
難しいかもしれませんが、家族だからといって無理に好きになる必要はないと思います。
自分の家族は変わっていると受け入れて、なるべく家族とは距離をとって、家族以外の環境で自分の人生が良くなるように集中するのが良いかもしれません。
ななしさん
家族は赤の他人ですね。父親は母や私が作った料理を食べない。祖母ばかり大事にします。母は体調悪くても許されない。祖母は切れると執念深い人で孫だろうが恨んで仕返しをしてきます。世界が自分で回ってるような人です。高校生の頃、おれが死んで供養しなかったら恨んで化けて呪うと言われました。高校生に言う言葉じゃないですよね。もう父と祖母には殺意しかありません。早く死んで地獄に落ちてほしい。それか私が死にたい。次生まれ変わるとしたら何にもなりたくないです。
ななしさん
私も主さんの気持ち痛いほどわかります。
でもね、
私も今何が欲しいかって聞かれたら
多分何も欲しくないと答えますね。
それ以上に私はもう人に期待すらしなくなったのです。
愛とかいうもの以前に人自体受付けなくて。
自分のことを否定的に生きてくことに
当たり前になり、
家族には嫌われて26年間偽りの自分をつくっていました。
私は人に愛を求めるも、肉親に愛を求めることすら
できなくなったんです。
居場所も愛と同じです。
無理に居場所を作らなくていいよ。
無理に愛をほしては自分がつらくなるだけ。
今はあなたが少しでも生きる糧になるように
少し自分の自由をあげてください。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。