ずっと昔から、ずっと死にたいです。
両親が老後を暮らしていけるだけの蓄えを貯めたら、すぐにでも、死んでしまいたいと思っています。
これまで生きてきたわたしの人生は、きっと客観的に見て、とても恵まれたものでした。
親にも、兄弟にも、友人にも恵まれて、ささいないざこざや問題はあったけれど、わたしはいつも幸せに生きてきました。
だから、わたしがずっと抱えてきた死にたいというこの気持ちも、思春期が終わってしまえば、なんとなく忘れていくものだろうと思っていました。
いまでもそれは同じです。この先の人生をずっと生きていけば、いつかはそういう日もあったと笑って流せるようなものになるのだと、まだわたしは思っています。
それでも毎日どうしようもなく、あした目を覚ましたくないと思ってしまうのです。
休日の朝にふとんの中で目を覚ました時や、仕事からの帰り道をぼんやり歩いている時。友人とメールしているときやSNSを眺めているとき。
ふとしたときに、自分でも明確な原因を突き止めることができないような無力感と嫌悪感に苛まれ、いらいらしてどうしようもなくなってしまいます。
うまく説明ができなくて申し訳ないのですが、わたしはずっと毎日、はやく死んで終わりたいという、なかば焦燥のようなものを感じています。
自分でも、ひどいことを言っていると思います。
わたしがうまれてからずっとずっとよくしてくれた両親に、兄に、友人たちに、本当に最低なことを言っていると、この文章を書いていても感じます。
あまりに責任感に欠けた、役立たずの娘であると情けないです。
死にたい、と言うのは、周りの人にとっても不快な言葉だと思います。
それが全くの他人なら、残された人たちのことを一切考えてない不道理な言動だとか、いっときの不幸に酔っているだけの、あたまのかわいそうなやつだとか、構ってもらいたいだけの甘ったれだとか、いろいろ言いたいことはあると思います。
わたしだって、その通りだと思います。こんなものをはずかしげもなく書いているわたしはなんてだめなやつで、なんて無責任で頭が悪いんだろうと、自分でも思います。
それでもこの文章を書いたのは、この無力感のつのる苛立ちを、一度吐き出したかったからです。
わたしの好きな人たちに「あなたが死ぬと悲しい」と言われなくて済む場所で、洗いざらい吐き出してしまいたかったからです。
そうしたら、明日からも仕事をがんばって、なるべく人に迷惑をかけずに死ぬためのお金を稼いでいけると、恥ずかしながら思ったのです。
こんなところで、こんなことを書いてごめんなさい。ご不快に思われる方もきっと多いことでしょう。本当に申し訳ありません。どうか通り雨にでもあったと思って、この話のことは忘れてください。
もしも最後までお付き合いいただいた方がいらっしゃるなら、本当にありがとうございました。
ある程度の蓄えができるまでは、お仕事頑張ります。
たぶんそんなふうにしている間に、生きていくのも苦じゃなくなるのだと思うけれど。
ななしさん
私も死にたいと常日頃考えておりました。
私も平均以上幸せな生活をさせてもらってます。
なのに平均以上に周りに迷惑をかけて自分何やってるんだろうという気持ちになります。
私は漫画の悲劇のヒーローやヒロインが、羨ましくなります。悲劇が羨ましいなんで失礼な事だとはわかっているんですが辛い事を乗り越えた強さっていう美談に憧れてしまいます。
そんな常日頃から、ネガティヴで暗い考えの私が最近いいなと思った考え方があります。全部が運命なんだと考える事です。私が今このお返事を書いているのも運命で、ネガティヴな事を考えているのも運命なんだって考える事にしました。考えているとどんどんループしていってなんだかどうでもよくなってきてしまいます。
もしいいなって感じたら是非この考え方を使ってあげてください。少しは気楽になるかもしれません。
早めに楽に死ねるのが1番だよね。という考えの人より