小瓶とかそういうの関係なしに、死にたいとかつらいとか言っている人(すごい雑なくくり方だけど)は、結局は自分がどうにかしなきゃいけないことに気づいていないんじゃないか
もしくは気づいていてもそれができないんじゃないか
嘆いていても何も始まらない
環境ももちろん大事だけど
もっと大事なのは自分がその状況をかえるという意思?
言いたいことがうまく言葉にできないなあ…
私は、その変化の後がなぜかこわい
この状況、自分の現状が嫌なはずなのに
でも、そういう人に(最初の話に戻って)
私が手助けができるのだとすれば
自分にもっと自信を持っていいと教えることなんじゃないかな?
確かにただ甘えられる穴を提供するだけでは相手のためにならない
でもあなたは素敵で生きるに値する人だと伝えるのは悪いことなんだろうか
うーん分からん
53716通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
人を信じられないんです。だから助けようとかしてる人を一番疑ってしまう。カウンセリングも到底無理。自分の話を聞いてくれている人を傷つけてしまいそうで。
自分ではどうにもできない。
子供って、どこまでいっても「たかが子供」でなんにもできない。
ななしさん
また会いましたね? (京です 笑)
よしともさんやりぃふさんの言う事はごもっともなのですが、そういった人の中には、そういった現状を変えたいけど変えられない。
または自分では、もはや余裕がない。
というかたもいます。
例えばひとつ...
(想像してみてください)
あなたの家の前に「ご自由にどうぞ」と張り紙をしてコートを置いておく。
あとは、寒いからとそのコートを着るも着ないも本人次第にまかせて良いと思います。
思いやりをもっても、それを押し付ける事をしないのです。
ただこれも完全ではなく、時には強制的にしなくてはいけない事もあるのは事実ですが...
by 京
名前のない小瓶
私もそう思っていました。
自分の身体が不自由になり、
いかに何も知らなかったのかを、
思い知らされました。
そうあって欲しい願いと、
実際の現実は違います。
今本当に、それまで知りもしないで人に浴びせていた言葉に後悔しています。
名前のない小瓶
(小瓶主)
りぃふさん、二通目さん、お返事ありがとうございます。
二通目さんの言う通り、確かに、状況によるところもありますね。
ただ、つらくても、死にたくても、つらい、死にたいと思っているだけでは、そのつらさはなくならないと思うんです。だから、嘆いているだけではいけない。
前に進むためには、結局自分がなにかを変える努力をしないといけない。
私は二通目さんが書かれたような、完全な孤独を経験したことがありません。だからもしかしたら私の考えは甘いのかもしれない。
孤独の闇に落ちていく人を、ライ麦畑で捕まえたい
話が戻りますが、その前に進みたい、何かを変えたい、という気持ちをもつまでが大変なんですよね
りぃふさんの言うとおり、やさしいボールを投げ続けるのが大事なんだと思います。
もし投げたボールを取ってもらえなくても、相手の近くに届きさえすれば、その人の足元にはやさしい言葉が書かれたボールが転がっている。
その人が変わりたい、変えたいと思って周りを見たときに、地面に落ちているボールに気づいて拾ってもらえればいいのかな、と思います。
お二人のお返事で、少し自分の言いたいことがまとまりました。ありがとうございます
名前のない小瓶
でも、相手が人の感情の場合は自分ではどうすることもできない…。こちらは変わらずに愛しているのに、勝手に環境を変えられてしまう。孤独にされて、誰かの支えがなければ、人は一人では生きていけません。だから、死にたいのです。
りぃふ
よしともさんのご意見、正しいと思います。
けれど、そういうのって多分、変えたい・変わりたいとその人自身が思うまで心の部分にちゃんと正しく届かないのもまた事実。
キャッチボールにはなかなかならないんですよね。
押し付けることなく、優しいボールを投げ続けるしかないんだと思います。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。