生きる意味を求めてしまう理由がわかった。
普通の人は生きるのに意味なんて求めないらしい。
私たちが生きる意味を求めてしまうのは、「生きててもいい理由がなきゃここにいてはいけない」と思ってしまうからなんだと思う。
○○しなきゃダメとか、親を怒らせたら出て行かれるor出てけって言われるとか、口が悪いと裸足のまま車から引きずり降ろされるとか、99点じゃ「あーあ、どうしたの?」って言われるとか。
ありのままの自分は受け入れてもらえずに、親の言う通りに従わないと文字通り生きては行けない状況だった。
きっとそれまでは親が生きる意味だった。
親がおかしいとわかって、でも他の価値観は知らないから誰かの言う通りにしないと存在を許されない気がして、意味を求めてしまう。
本当は何もしなくてもここにいていいと言ってほしい。
生きるのに意味を求めてしまうのは、意味さえあれば自分が生きててもいいと思える気がするから。そうじゃなきゃ許されなかったから。
だから生きる意味は人それぞれ違うんだ。
あるのはただ生きているという事実だけ。
そこに意味を付けることで楽になりたいんだ。
「ありのままで愛されようと思うなんておこがましい。野菜は洗って皮を剥いて調理してようやく食べられるのに、泥だらけではいどうぞと出されて食べる人がいるのか」
なんて発言を見て、何か違和感を感じた。
これはこの人こそがありのままじゃ愛されず、努力して努力して自分を取り繕ってきたからこそそう主張することで報われたいんだと思った。
一見正論に見えるけど、
「だからあなたがありのままで愛されるなんて許さない」とでも言いたげな、悲痛さを感じた。
「死んだ方がマシだ」とか、「最初から産まれて来なければよかったんだ」とか思ってしまうけど、その前の主語って考えたことなかった。
それって「誰にも認めてもらえないなら」なんだろうな。
その価値観のベースにあるのって、親に押し付けられた考え方。それならそんな価値観、捨ててしまった方がいいのかもしれない。
何もしなくてもここにいてもいいのかもしれない。