僕はどうしても人が嫌いで
人の感情が嫌いで
僕に対して何かを探るように聞いてきたり
感情をぶつけてきたり
そういうことが
不快で、怖くて
たまりません。
それは家族も同じことで
だから家では秘密主義だとかなんとか言われるのだけれど
大事なことは何も言えません。
怖くて、なぜか怖くて
嫌なんです。
友達の前でも
嘘ばっか。
ほんとはそんなの好きじゃないのに
そう言った方がみんなが笑ってくれるから
Mっぽい人を演じたり
甘えん坊をしてみたり。
できれば
僕は一人でいたいのに。
そんな風に
人のいいところだけ見れるような
自分にして
人の本質的な感情には触れないように
いばらの道の棘に触れないように
歩いてきました。
だから
突然
人の感情が僕に触れた時
咄嗟に子供のように
耳を塞いでうずくまってしまいます。
何か僕を探るような質問をされた時
何も言葉が出てこなくて
拒絶してしまいます。
そうと言うのも
実は先程
母にそのようなことを聞かれたのです。
今日
遠出してまでゲイ映画を見に行きました。
僕はどうしようもなくその映画に惹かれていてどうやってでも見に行きたかったのです。
(僕は嘘が下手でつけないので)
その題名を母には伝えてあったのですが
それを検索したのでしょうか
妙な聞き方で探ってくるのです。
それは
まあ
聞きたくなるとも思います。
でも
どうしてもそれが嫌で
母を拒絶してしまいました。
それもなんだかわざとらしくて
自分のやるせなさと
拒絶の気持ちでいっぱいになって
心が嫌になります。
自分の存在の不安定さと
理解しにくい世界に
涙が出ます。
こんな僕だから
恋愛の喜びも一つも知りません。
だからあの映画を見ても
どうしてその人を好きになったのかがわからなくて
考え込んでいます。
(映画自体はとても素敵でした)
その人の嫌なところは主人公は必ずあったはずなのに、
どうして愛せるのでしょう。
本当は分かっているんです。
でも
どうしても僕にはそれができなくて
拒絶と軽蔑しか生まれてこないのです。
人はこんな僕を
冷たい人間だと言うのでしょうか。
人の嫌な感情だとか
汚い部分を
受け入れる必要があるのはわかっています。
わかっているんです。
他人だから僕とは違うし
感情が表に出ることだってあるのもわかっているんです。
理性はわかっているのに
本能が拒絶しています。
酷く矛盾していて
脆い。
全て矛盾した自分に
生きづらさを感じます。
僕はどうしてこんなヒトなんでしょうか。
名前のない小瓶
55122通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
(小瓶主)
皆さん優しいお返事ありがとうございます。
自分だけでは気づかなかった事ばかりです。本当に感謝しています。
同じような悩みを感じている方々がいたのにもとても安心しました。
日々の中で心苦しくなった時、拒絶を感じてしまったとき、皆さんの言葉を思い返してなんとか過ごせるようになりました。
本当にありがとうございます。
ななしさん
初めまして、お返事失礼します。
あなたは優しい人なのかもしれませんね。
だから、攻撃的なものから自分を守ろうとしているのかもしれません。
優しいことや弱いことは、悪いことではありません。傷つけるより、よっぽどいい。
あなたの人生、あなたがしたいようにしていいんですよ。
ななしさん
上手く言い表せないけれど共感するものがありました。
否定され傷つくのが怖くて、ひとの悪意が嫌で、傷つけるのもストレスで。
一のマイナスに対し一万のプラスが無いと安心できない。
それに一番近い家族にも、心の底の底の隠してしまいます。
そんな自分も嫌で。
他人と関わるほど他人が自分が人間が嫌いになる。
生きづらい
ななしさん
おかしくないと思う。
私もそんな感じです。あなたと似ています。
やはり生きづらいし、何にせよ誰ともお付き合いが出来ません。
周囲に対する拒絶と自分に対する軽蔑が知らずにありました。
自分が誰かと恋愛している姿も気持ち悪いし受けいれたくない。おまけに友達といても簡単に心休まらないのは、おそらく自分に対する不安です。
嘘がもうベラベラベラベラと。自分を守る為についていた嘘が自分を更に生きにくくしているみたいです。
仲間が欲しい。本当はきっと仲間が欲しいんです私は。手を差し伸べてきた手も自ら拒絶の連続。あと主体的に動かなきゃいけないのに、それをしてこなかった結果が今の現状の私を作っている事も頭ではよく分かっている。もうみんな呆れかえって私には手も差し伸べてはこないでしょう。寂しいですかね?寂しいすらも通り越してしまった冷え切ったこの感情はどうしたらいいんですかね。
一人旅したい。だけど本当に仲間が沢山いるなら一人旅も楽しいのでしょうけど、完璧に友達がいなかったら一人旅したら更に一人だなぁと感じそうで、なかなか出来ません。
友達の作り方を忘れたわけじゃない。だけど友達作ってもあまり良いことが無かったし、付き合っていくには感情に折り合いもつけながらでないと関係は築いていけないから、そう分かってから人付き合いに興味が持てなくなっていった。本当に仲の良いと言える人が一人いるけど、その子以外は上辺な付き合いなのか上辺じゃないのかすらわからないような関係性。慎重すぎるからか誘われた遊びにも乗らず、気付けばコミュニティに属していないという状態。ただ一瞬一瞬を楽しく過ごすには無理にでも顔を合わせて、無理にでもニコニコして笑っていないと駄目なのか。そうまでして誰かといたいのかと言われたら疑問だ。だから今日もまた私は一人で過ごして、一人で先々の事を考えながら過ごしているんだ。集団は嫌いではない。ずっと集団にいるのが窮屈なだけ。なら、いっそ孤独でも…いいか。そんな気持ち。
主さん。。私もね、みんなの、人間の嫌な、汚い内面の部分を見るのは嫌です。さんざん見てきたからね。
きっと今まで試練がありすぎて、苦労して、悟っちゃったんだな。上っ面の言葉や感情じゃなくて、本当に、私の事を好きだよ、愛してるって、言葉だけじゃなくて、誠実に向き合ってくれる人が欲しいだけなんです。
軽い人じゃなくて、あーこの人と一緒に生きていきたいな、生きていけそうだなって思えるような人にそばに居てほしいだけ。
もしかしたら私が拒んできた人の中に誠実な人もいたかもしれない。でも拒んだ事実は変わらないし、後ろ向くより前向くしかないんですわ。
主さん、後悔しない生き方を探しませんか?
主さん素敵な人です、だから自分は変だって思っちゃ駄目。勿体無いです。
私は綺麗な集合体の中に咲いている花より、隅っこにひっそり咲いてるけど綺麗な優しい花が好きかな。
価値観みんな違うけど、だからこそ面白いなって、そう思える人間で私は在りたい。
まりちゃん
人のことより
自分に感情があること、感じても良いこと
感じても、死にはしないこと
そっちが先かなっと。
わたしは、自分が自分を受け入れてる範囲でしか
他人のことは受け入れられないと思う。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。