出藍の誉れ、という慣用句がある
持っている知識や技術を家族に教えることを、どこか気乗りしないと私は思ってしまうらしい
他人に対してはそう感じないのだから、自分でも見栄っ張りさに呆れている
知識と技術、どのように応用するのかといったデータベースは持っていても、私がその道の第一人者になれる訳ではない
そんな高が知れている内容をひけらかしたところで良い結果になる筈もないと考えている
躓いている友人たちへの解説は惜しまなかった、吸収した内容を今一度学習できる場と考えていたからだ
家族へ出し渋る理由を考えてみた
お互いを監視しあっているようなものなのに、困った時だけ猫撫で声で私にすり寄るからか
答えたところで真面目に聞かずメモも取らず、幾度となく同じ質問を繰り返すからか
その分野に関しては家族の誰よりも詳しいと自負しているけれど、教えてしまえば今後頼られずに(いつものように)外様扱いされると読めてしまって面白くないからか
特定の分野を専攻する高校・大学に進んだことを、積み上げた資格すらダシに使われて貶された記憶が蘇るからか
どう反論するとしても、自分はここまで小者だったのかと失望した
どうしても相容れない相手でないのなら、頼られたからには手を貸すのが筋だと思う
家族であればなおのこと
私一人で試験は合格し得なかった、それを分かっているから家族に何と言われても求められれば協力した
でも考えてしまう、一言『ありがとう』が聞けたなら出し惜しみせずに済んだのではないだろうかと
後で「習ったくせに家族には教えないなんて恩着せがましい」といつも言われるなら教えない方が良かったと、そう思いたくはなかった