烏羽
個人的には依存そのものが、全てにおいて悪いという事はないと思ってるんだけど、主さんが依存を嫌だ、やめたいっていうなら、出来なかった自分を責めるのは程々にしときましょうや。
精神的な依存っていうのがなんなのかと考えると、自分の足りない部分や、芯のような部分を相手に委ねて支えて貰うって感じじゃないかと思う。
そう考えてみると、要所要所、程度はあれど誰にでもある事なんじゃないかって思いもする。
主さんがどう思って、何が嫌で依存をしたくないのかって事はわからないんだけど…
厳しい話、不快に思われたら申し訳ないんだけど、相手に自分の足りないものを求めても、相手は自分じゃないから、まあ何となくわかってはいると思うし、もしかすると、だからこそやめたい部分もあるのかもしれないけれども、自分の心の隙間が埋まる訳じゃないんだよね。
少しでも埋まる部分が、あるとは思っているんだけど。
意図して埋めてくれよう、支えてくれようとしてくれる事もあるかもしれないけど、自分の思い描く形とは別で。
だから、本当は、その人自身が話をやめると判断したのならそれは、その人次第なんだとわかっていても、そして自分の精神の立場から来る不安からも、話を続けて欲しいと思ってしまっている感じなのかな、と勝手ながら思います。
で、もしそうだとするなら、違うなら違うで構わないんですが、何が精神的な不安なのか、そしてその不安を和らげる方法はあるのか、何なのか、という事になってくるのではないかと。
経験上、小瓶主さんがどうかはわかりませんが、相手に埋めて貰える事があっても、そこに芯というのか、行動やら経験やら、そこからなる自分の思う所がなければ、埋まるものも埋まらなかったので、だから相手に求め続けてしまうんじゃないかと思ってるんですよね。
だったら、事の初め、歩き始めとなれば上手くいかない事も多いかもしれませんが(物事をやり始める、学びたての右も左もわからない頃って、思い返すと失敗だらけなので)
埋められそうな所は自分で埋めたり、他の人に頼らなくとも、それなりには精神的に平気でいられる芯のようなものを築き上げてしまえばいいんじゃないかと。
(また、上手くいかない時はとことん上手くいかないって時もあるので、その時は休んで、またしたくなった時にでも)
小瓶主さんの立場というか、どういう状況なのかもわからないし、踏み入っていいのかもわからんので、依存する事を肯定も否定も出来ませんし、元よりするつもりもありませんが…
主さん自身が、依存の何が嫌だと思うのか。
何が不安なのか、精神的な安定とはどういったもので、それを求めているのか。
それら3つ辺りが、依存をしている内や、その中で感じたものから考えたりで見えてくると、解決策…というか対策というか、何かしら具体的に見えてくるものはあるんじゃないかなと思います。
因みに、参考になるかもわかりませんが、自分の精神安定剤の一つは、歌を歌ったり、絵を描いたりする事ですかね。
楽しかろうが悲しかろうが、好きに歌ったり描いたり出来るので。
また、緊張したり、焦ったり、不安な時だったりで、何かしら上手くできない時は、一旦落ち着くために深呼吸をしたり。
もう一度やってみようと思ったりして気持ちに区切りをつけたり、寧ろそういう時は疲れて来たかな、とか思って、上手くできない事とは離れて、休んだり、楽しくできたり簡単に出来るような、別の事をやったりしてます。
やり方が小瓶主さん自身に合うかどうかもわからない上、必ず良い、という事は言えたもんでもありません。
自分でも、その方法でダメな時はありますからね。
もしも気が向いたら試してみる程度の、参考になれば幸いです。