他人のために犠牲になれる人はすごいと思うけどさ、だからってそれをしない人を責めるのはなんか違うんじゃないかって思うんだけど。
新幹線の殺傷事件。
犯人に向かっていって犠牲になってしまった人は気の毒だと思うけど、逃げて生き延びた人を責めるのは見当違いのような。
死にたい人が生きたい人に命をあげられるようになる。
それが良いか悪いかは私には分からないけど…死にたいって人はまだしも、それを他の生きたい人や死にたくない人にまで言うのは違うだろ。
命をあげるのを渋るな、みたいな。
むしろ矛盾もいいとこじゃないのか。
なんだこの、生きてちゃダメ生きたいと思っちゃダメみたいな空気…
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ななしさん
私は自分の大事な人が被害者だったら、「逃げて!」って言うと思う。
仮に被害者が大事な人で私がその場にいたとしても、声をかけることも動くことも出来ずに、ただ見ているだけしか出来なかっただろうな。
ただ、遺族の方々が言うならまだしも第三者があれこれ言うのはやはり違うと感じるし、そういう人も実際に現場にいれば逃げると思う。
生きてていいんですよ。
新幹線の事件は確かに逃げた人を責める人がいるのは事実ですが、そういう人は実際に現場にいるとやっぱり逃げると思います。人間って、そんなものなんですよね。
実際にその事件の場所にいたら、私はどうするかな? とっさにどうすればよいのかが分からないのでやっぱり逃げてしまうのではないかと思っています。
ななしさん
あなたの言う通り、理屈としては私もそう思います。1番悪いのは犯人だし。
ただ、周りは助けられなかったのか?と言いたくなる気持ちもわかります。
正直、もしあの時の被害者が私の大切な人だったとしたら、私は「周りに他の乗客がいただろう!何やってたんだ!あの人が殺されるのを黙って見ていたのか!?」と叫ぶと思います。
そこは理屈じゃない。「あの状況ではあの人が死ぬのも仕方なかった」なんて思いたくないし、死なない道は無かったのかと諦めきれないのです。
おそらく、今声をあげている人は、いきなり殺されてしまった被害者の遺族の気持ちを想像したり、もし殺されたのが自分の家族や友人だったら…と想像して、理屈より感情から、そういう言葉が出るのだと思います。単に何でも馬鹿にしたがるだけの人もいるでしょうけどね。
逆に助かった方の家族は「自分の大切な人が無事で良かった。死んだのがこの人じゃなくて良かった」と思うだろうし、もちろんその気持ちも充分想像でき理解される感情だと思います。そして助けられずに逃げた人も、周りに責められるまでもなく、自分の無力さや事件の現場を繰り返し自分の中で思い起こしては苦しむでしょう。例え「あなたは悪くない」と言われてもね。
結局ね、どの立場でも口に出さないとやりきれないんじゃないかなと思います。あまりに無情で理不尽な事件だから。
防げる可能性やターニングポイントがたくさんあっただけに、また類似の事件が起こる可能性も大いにあるだけに、不安や恐怖を振り払いたくて、でも振り払えなくて、理性に欠ける発言が出てくるんじゃないでしょうか。
本当は皆、あなたが書いたようなことを心のどこかではわかっているはずだと思います。
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