この小瓶が載る頃には死んでいるかもわからないけど。
思い出していた。
父にされた暴力の中でも強く印象に残っているシーンがいくつかあって、その時の感覚を私は今でもありありと思い出すことができる。
まだ幼稚園のころだった。5歳とかじゃないかな、頭を引っ掴まれて、窓ガラスに頭を打ち付けられた。それを見て泣き叫ぶ妹と、一緒になってただ怯えて見ているだけで止めない母親の姿。えっ なんで私こんなことされてんの?窓ガラス割れて頭血だらけになったらどーしよー。そんなことをぼんやり考えていた。ただ実の親から理不尽なことをされた心のショックが大きかった。
きっと今でも私の中での最上級は、なにかやらかしたらまたああされるかもしれないっていうあのときのショックが心の中にある。なにかやらかさなくても、いずれああされる。仲良くなったら、このままこうしていたら… すべての行動の結果がそこに辿り着くような気がして、怯える。ただじっとしていてもそれを気にくわない人たちが私の家に入り込んで、私をめちゃくちゃにしようとしてくる想像に怯えている。
今普通に冷静になって考えてみると、5歳なんてまだ生まれて5年だよ?なんで殴れる?高校を卒業してからもう5年が経ったけど、私は5年で少しも成長していない。5年はあっという間だ。それが、ただのこんな5年しか生きてない未熟な子供に、どうして殴ろうとしたんだろう?って、普通に頭おかしいねって思う。5歳の5年と22歳の5年は違う。5歳の5年は生きるためのすべてが詰まってる。それなのに5歳児殴る?むりだわ。
こないだ保育園のバイトに見学しに行って思ったけど、5歳児なんてさあ、殴ろうと思わないよ。尊いよ。守りたいと思ったよ。成長が楽しみな時期じゃん。これから色々知っていくんだなって。この先の未来が明るいものになりますように思いながら関わりたいじゃん。私はそう思ったよ。それをどうして… どうして生まれてからまだたったの5年しか経ってない子供にそんなことができたんだろう。
22歳の私と、5歳の時の私の心の感覚は一緒なんだ。あのときの、心の中だけ自分が取り残されて、なんで、って思ってる感覚。5歳だけど大人だった。そしてそのまま大人になった。大人のふりをした私は、そのまま心が成長することなく、大人のふりをする大人になった。
私は感覚を停止した。
正常はなにかわからなくなった。
私が死ぬときは遺言をしたためてネットに永久に公開してやるからな。どうか死ぬまで苦しんでほしい。