勉強をしている時、何のためにこんなことをしているのかと思う時があります。自分の将来は人と関わる仕事を目指しているのですが、それが今となっては本当にやりたいことなのかもわかりません。そんな時にふと自分の存在意義を何に見出せばいいのか、自分の趣味、好きな食べ物、大切な人は誰で何なのか。何もわからなくなります。体はとても元気なのに、心が追いついていけません。皆さんはそんな時どうやって乗り切っていますか?私はあと少しで全部壊れてしまいそうです。怖いんです。
名前のない小瓶
56819通目の宛名のないメール
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ななしさん
ちょっと違うことを言うかもしれませんが……
突然ですが
私はどうしてもやりたい学問があります。なぜかはわからないけれどどうしてもそこに惹かれます。
唯一の心当たりとしては、今までの経験です。経験が私をそういうふうにしていったのだと思います!
だからはっきりした理由がなくても私は良いと思います!
名前のない小瓶
うーん、私の場合は勉強することとか、勉強して何か成果を出すことに存在意義を見いだしてたので、そういう見方もありなのかしら、とは思います。(ただそれは全てではないですよ。そこ間違えると危険ですから気をつけて。)
勉強してたこと(得られた知識とか、勉強する過程とか)が、全く関係ない瞬間に役立つこともありますし、知ってる知らないが最悪命運を分けちゃうこともあるので、勉強そのものは大事だと思います。
大事な人が勉強がらみでできることもありますし、勉強が好きになることもありますしね。(大学院で同じ専攻の男女で結婚するとか普通でした。勉強がきっかけで話が盛り上がって、結婚するんですけどね。)
なので、あんまり深く考えずにまずは気楽にやってみてはいかが?疲れたら休めばいいんだし、くらいのゆるゆる加減で。
ななしさん
存在意義がないから勉強が必要なんだよ。
その証拠に、既に生きる意味を見つけているオリンピック候補のアスリート達は座学よりとにかく練習練習だよね。やるとしたら海外でも練習出来るように外国語の勉強くらい。
夢が見つかった時に、その夢に必要な学校に入ったり、資格を取ったり出来る学力が無かったら叶えられないでしょう?
勉強が出来ず赤点ばかりなら、それ自体が劣等感で自信を無くしてしまうこともある。
ななしさん
大人になって、少しでも生きていきやすくするためだと考えます。
よく大人が「若い時もっと勉強しとけば」と後悔する事があります。
進路の選択肢が増えるだけではありません。
誰かと対等に渡り合うには、人格の他に知識も有利に働か事だってあります。
ななしさん
「存在意義は生きていると見つかるかな?存在意義を見つけるために生きてみよう。」と考えるようにしています。
いろいろなことを学ぶと存在意義が見つけやすくなるかも?と考えて勉強していることもあります。
でも、心が疲れたらぼーっとしたり寝たり散歩したりして「元気になったらまた勉強しよう」と考えてみては?
ななしさん
私もなんのために勉強をしているのかわからなくなったことがあります。
今もあります。
一度全て忘れてみては?
スタートに戻って、そこからやりたいものを見つけてみる。
もし、今目指してるものをやりたいと思ったら、目指し続ければいい。
自分の好きなことを好きなようにやったらいい。
好きなものも大切な人も探すものじゃなくて、自然と「私、これ好きだなぁ、この人といると居心地いいなぁ」と思うものだと思います。
存在意義なんて分からなくたっていいんです。
というかみんな分からない人の方が多いんじゃないかな…。
自分の価値とか、存在意義なんて数値化できるものじゃないから、目に見えないから、そして一つじゃないから、、
私はね、今はやりたいことたくさんやって、好きなものを見つけたり、いろんなものを見たらいいと思うよ。
あなたがあなたにとってキラキラする毎日を過ごせますように☆彡
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