気づきの小瓶。父親編。
父が、私がお付き合いしている彼に仕事(会社のウェブサイトの改変)を依頼するために、今日2人が初めて話をした。
自分の父親と彼氏が話をしているというのはくすぐったくて変な感じがしたし、
私にはわからないプログラミングの話をする彼がかっこよかった!(のろけ)
…それは置いておいて。
今日実感したのは、父にも他人に委託するような「できないこと」があるということだった。
たしかに父は頭が切れるし、運動もなかなかできたらしいし、色々なことを知っていて、家族の中では何かあったら頼れる存在ではある。
けれど、そうだとしても私は父を絶対視しすぎていると思う。
父はなんでも出来て、父の言うことは正しくて間違っていないと信じてしまっている。
私と同じように適応障害の診断が下った前後から、父も完璧人間ではないのだということは薄々気づいていたけれど、
それが確信に変わったのが今日で。
逆に言えば今までは父を盲目的なまでに絶対視していた。
なんで、私、父は絶対だと思っていたのかな。
その方が都合がよかったから。
じゃあなんで、その方が都合がよかったのかな。
さっき電話越しの彼に
「誰かを絶対視した方が都合がいいと思うのはどんな時だと思う?」と聞いたら、
「目的や行動原理がはっきりしていないためにその人にすがりたい時」と返ってきた。
たしかにって思った。
小さい頃から両親に認められたい一心で生きてきた私は、両親の存在にすがっている。
父に関してここ数年で言えば、
何となく大学院に行きたいと言ったら
「(私の専攻する)文学で博士は難しいぞ」と言われたので
父に認められるために大学院を目指すための大学受験、
私は文学が好きでたまらないからその道に進むのだという無意識セルフ刷り込み
(これは小さい頃の父の言動の影響も多分にある)、
今や大学院進学博士号取得という目標が生きる意味になっていると言っても過言ではないと思う。
そのくらい自分の中で父の戯れの一言が神格化されている。
私の本好きなんてライトな趣味の域を出ない程度の熱量なのに。
私、父の言葉にすがっているのが楽みたいです。
自分の道、自分の選択を誰かのせいにしたいのかもしれない。(これはまた別の話だけれど)
正しい父の言葉にすがった正しい選択をすれば、
そしてそれを実現すれば、
認めてもらえるかなって思ってる。
さて、気づいたところでこの盲信はやめるべきなのだろうか。
今私は、父に認められたいという気持ちと、さっきまで電話越しにいびきをかいていたうさぎさんの側にいてあげたい・いたいという気持ちだけに支えられて何とか毎日を過ごしている。
不健全なのは承知だけれど、
後者に関しては私、今多分こども返りの時期で、
認めてほしいって言ったら承認がもらえる今の状況は必要なのだと思う。
小さい頃本当に欲しかったものを今もらっている感じ。
この2本の柱がなくなってしまったら自分は大きく崩れると思う。
この不安定で醜い感情は、
消し去る(それにすがらなくても大丈夫な状態になる)べき?
すがっていてもいいの?
わかんない。
わかんないから、もうちょっと考える。
そういえば、私、自分の感情がわからないことが多かったのだけれど、
最近楽しいとか嬉しいとかわかるようになってきたなぁって。
大きいのは、麻痺していた負の感情がわかるようになってきたこと。
私は「さみしい」が多いみたいで、
覚えたての言葉を使いたがるこどもみたいにさみしいって言いまくってます(えへへ)
57175通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
りぃふ
(小瓶主)
冬さん
いつもお返事ありがとうございます。
エネルギーと筋肉の話、なるほどなぁって思って読んでいました。
確かに昔はさみしい・つらい・嫌だを我慢して、それを全部流すのではなく内側に溜め込んでいました。
だから「筋肉が動かなく」(心ver.)なったのかなぁ、と。腑に落ちです!
>>すがりたいならすがればいい。
必要だから心がその方向を向くだけの話です。
すがること=悪 だと少なくとも前までは思っていたのですが、必要だからすがるんですよね。
わりと簡単なことなのに見えていませんでした。
承認をもらうのもやっぱり「縋っている」のひとつでどうなのかなー?と思っていましたが、自分が必要だから引き寄せたんだって遠慮しないでガンガン受け取ろうと思います。
相手に同じだけ同じ気持ちを渡すのも忘れずに。
ありがとうございました。
まりちゃんさん
いつもお返事ありがとうございます。
冬さんへのレスを読んで私も得させていただきました。
特に最近まりちゃんさんがおっしゃっている「それがあってももいい」が今回のことと上手く繋がりました!
(縋りたい気持ちも、まる)
まず受け止めてあげること。話はそれから。
最近ちょっとできるようになってきた…気がします。(するだけかもしれない)
ありがとうございました。
烏羽さん
いつもお返事ありがとうございます。
私の中の親の存在ってかなり大きくて、もうそろそろ年齢的に大人と呼ばれる時期に近づいているのに、未だにめちゃくちゃ左右されているみたいです。
親の言うことを聞くこと(=絶対視)が今までの自分の身を守る方法で、これからここを抜け出していく…のかな。
それも自分で取捨選択するという意味で大人になるということなのかなぁ、と思いました。
従順、の意味の素直。
これ、私ずっとやろうとしてたやつだー、って読んでいて思いました。
よくよく考えるとねじ曲がってますね。
今の私には、やっぱりまだ縋る必要があるみたいです。
それが今「一瞬」の答えなのかなって。
そのうちまた変わっていくのかもしれませんが、そういうのも含めてその時々の答えに従っていきたいと思います。
ありがとうございました。
烏羽
すがっている…すがっているか。
他の動物のように、もしかしたら本能というか、親からの影響を強く受けやすいというのはあるかもしれないと思った。
生命維持というか、自分で身を守るだとか、食料の得かたとかを知らない内は、指示に従順であったり、その方が生きやすいから、っていうのもあるのかもしれない。
ペットとか見てると、まあ人間と同じだとは思わんけど、毎日エサを貰ってる人に懐きやすかったり、生まれた時の刷り込みみたいなものだったりがあるから、そんな風に考えてみたり。
個人的には、父が絶対っていう部分の盲信は、既に出来ない事もあるという確信、認識から、盲信と言える程ではなくなってるんじゃないかなと思う。
もしかすると、便宜上ではあるけど、自分で身を守るだとかの方法が体感としてわかってきたのかもしれん、とかね。
余談だけど、素直って言葉がある。
飾り気がなく、ありのままであるとか、まっすぐで、ねじ曲がっていない事とかを表しているのに、その中には従順という意味も含まれる。
従順というのは、人に逆らわないとか、大人しくて人の言う事をよく聞く事、などとある。
不思議なもので、ありのままであるとするなら、逆らいは捻くれていると捉える事もできるが、人に逆らう気持ちもそれはありのままの表れと捉える事も出来る。
人に逆らわないとなれば、自分の意見を捻じ曲げるという事がないわけでもないので、そうなると悪い意味での飾り気がある、曲がったような、自分の気持ちに偽りのないありのままだと言い難くもなる。
人の使い方とともに変わったのか、初め、どういう意味を持って使われていたのか知る由もないが、個人的には、ありのままであるも従順であるも、それらは全て人の持つそれぞれの素直(ありのまま)なのだと思う。
ただそれぞれ、ありのままだったり従順であったりした結果を見て、一つの言葉に良い悪いという判断が付いて来たのかもしれない。
一つの概念に、様々な別の尺度からの思い、言葉が、付いてきたのかもしれない。
その全体を見渡し、一つのものとして考えれば、どれがどれだか解りづらくなるのかもしれない。
まとめて一つにする必要もないのかもしれんな。
一瞬一瞬、それぞれの良い悪いが、その時々の答えでもあるんだから。
…ああ、纏めたものも、その時の一瞬の答えに含まれるか。
だから、ややこしくなってもいるのかもしれん。
まりちゃん
横レス!
この頃、心理講座の講師さんが
依存を嫌うな、承認欲求あってもいい、
というのを言ってて
(これをいうと、言葉のうわべだけを受け止めて
今それをやっていたとしたら、免罪符のように
都合よく受け取る人もいるから、
そういうのとは違う意味で書いています)
ハァ?!ってずっと思ってました。
意味わからん!
わからんわからんわからん!
冬さんの二通目お返事を読んでいて、
急にわかった。
それあっていい、が、なんのことかが!!
(ありがと〜〜〜〜〜〜〜!!)
それ自体は、良くも悪くもない。
大事なのは、そんな自分も丸ごと
自分がまず、受け止めてあげること。
本当の気持ちは
その奥にある。
他のことだと、当たり前じゃん!って思うのに
もう戻りたくないなぁ
ってやつだと、
別物だとカテゴライズしていたようです。
(わたし)
どうもありがとうよ〜〜〜*
冬
りぃふさん、生き直し真っ最中なんですね。
どんな感情も必要な感情ですよ。承認欲求を貰えている状態って素晴らしいじゃないですか!
嫉妬や怒りや悲哀も受け取ること。感じて、有ると認めること。直ぐになきものにするとずっとそれは解消されずあなたの心の中に留まってしまうから。
これは受け売りですが、何かやろうとして動かした腕、「だめ!」と言われて引っ込めた時、やろうとした欲求のエネルギーは発散されず筋肉の中に押し留められるそうですよ。そういうエネルギーが溜まり続けると、筋肉、腕は、硬くなるとか、動かなくなるとか。
エネルギーワークで、聞く話です。
ストレスで、例えば耳が聞こえづらくなるのもなんだかわかる気がします。
すがりたいならすがればいい。
必要だから心がその方向を向くだけの話です。すがりたいと思っているのにすがらなければ(しかもすがれる現実も今はあるし)、その感情はずっとずっと付きまといますよ。
自分と仲良くするって、マイナス感情もヨシヨシしてあげることじゃないのかと思います。
邪険にしなければ、いずれ必要ないものにはさようならを言うことになりますよ。
りぃふさんはご自分のことをちゃんと見ておられる。変容は益々起きていきますね。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。