家族により多大な金銭的負担を強いる前に死んでおけばよかった
家族という狭いコミュニティの中で吐き出された褒め言葉を縁に生き続けるべきではなかった
努力もせず挑戦することによって鍛えてこなかった精神が、社会に出て生き続けられると思えなかった
生きていく過程で辛いことが起きたら耐えられないと思って、自分は弱いから逃げたいと思って自殺未遂してしまった
別に親に馬鹿にされ続けたわけでも、ひどいいじめを受けたわけでも、重い病気を患ったわけでもないのになぁ
幸い希死念慮は薄れて「死ななければならない」なんていう謎の義務感はなくなったけど、時々「もっと量を多くすれば」とか「予定通りの日時に行えば死ぬことができたかも」と思うことがある
でも身体に刃物を突き立てるたり猛毒を口にしたりする勇気はないから、所詮その程度の覚悟しかできない人間なんだなぁって自分を深く軽蔑するのが何よりも嫌なんだよなぁ
馬鹿だなぁ自分。なんでまだのうのうと息してんだろ
ななしさん
希死念慮、私もあります。今日も。今も。でもその感情が、「希死念慮」っていう言葉にされていることを知って、なんだ、私だけじゃないんだ、これ有名なんだ、ってわかったら、案外、同志多いんだな、ってなんかそう思いました。またここでも逢いましたね同志。マイノリティーだとは思いますが、案外私たちは、孤独ではないのかもしれませんね。「希死念慮」っていう概念の理解者は案外と多いわけですからね。
今は私はこの自分の希死念慮という感情を客観的に分析しようと思い始めました。どんなときに自分がそう思うのかが詳しく解れば、自分では気がついてない、あるいは押し殺している本当の自分への要求や感情をみつけられる気がしたので。希死念慮自体は、とんでもなく辛いですけど、不自然な感情だとは思えなくて。すごくニンゲンらしくなきゃ起こらない感情だと思うので、きっとそれは好転させられる感情なんだと私は今は信じてます。昨日も今日も、私は希死念慮でボロボロとひとりで泣いてましたけれど、そんな時こそ自分と丁寧に対話すべき時なのではと、今はやっとそう思えています。もっと自分の話を自分で聞かなくちゃと。とはいえ辛いのは事実ですよね。めっちゃくちゃわかります。私もがんばります。無理は避け、自分を大事にしてがんばります。あなたも自分を大事にしてくれたら、私は嬉しい。