ななしさん
多分、分かります。その気持ち。年齢も状況も違うのだろうけど、その通りのこと思ってますから
自殺はダメって思ってて、
だから殺されないかなとか、不可避の事故とかにあって死んで抜け出せたらいいのにって
わたしは何度も思います。
わたしは、小説で異世界に行ったり、忘れるように努力したりします。
でも周りは変わりません。
最近は、こういう考えと言うか教えがしっくり来てます。
神様はいて、すべての人は、死んだ後も魂は生きてる
良い魂は安息につき、悪い魂は焦燥の中に
死んだからといって、悪い思いが良い思いに変わったり、高慢な人がお釈迦様になったりはしない。
やがて時が来ると、すべての人はもう一度、今度は完全な体を得る時が来る。
その時、この現世で得たものはそのまま蘇る。
悪い思いは悪い思いに
忍耐は、忍耐に
優しさは優しさに
愛は愛に
憎しみは、憎しみに
傲慢は傲慢に
謙遜は、謙遜に
信仰は信仰に
そして、悪人にとって、最悪な事は、蘇りの時には。完全な良心も蘇ってしまうと言う事
完全な良心が、蘇った時に、すべての人は、自分のしたこと、行ったことだけでなく思ったこと、そしてどのような人格になったか、人生で獲得したものを全て評価されて認識することになる。
その時に、死んでしまいたいと思っても、死ぬことはできない。
だから、周りが高慢で、傲慢で、頭を虐待したり、なじったり、馬鹿にしたりしていたとしたら、それはそのまま、将来の自分になると言うこと。
逆に、忍耐、愛、信仰、許すこと。それらは、同じように回復されると言う事
そうなると完全な良心が蘇ったときに自分が心に養ったものが、良いものであれば、永遠の安息と喜び、黙ってるのに、もし悪いものがあるのであれば、永遠の苦しみなっている。
もし、死にたくなるような苦しみを味わなかったら、今持っている忍耐力とか、人を許そうと思う気持ちとか、愛とかそういったもの養う機会はなかったんだなって思っておくと、この経験に今は感謝できなくても、永遠の観点から見たら感謝するんだろうなぁ。
そして、自分をいかなる形でも虐げている人たちは、めっちゃひどい目にあうことになる
自分がそっち側では、ないように何とかこの人生が終わるまで、どんな状況にあっても、良い方を選んで耐え抜けば、このテストはクリアするって思うと、何とか続けられるかなぁって思う。
と言うのは私の独り言です。