6月に妻が亡くなりました。
結婚10年目。付き合っている時を含めて、
本当に、喧嘩らしい喧嘩も全くした事も無く、本当に最愛の人でした。
乳ガンでした。闘病は6年 一時は病気を忘れる程回復していたし、毎年家族旅行にも行っていました。
四十九日が終わる迄は、仏壇を探したり、色々な手続きをしたり、まだ小さい娘2人の事などで、ただただ忙しく、
悲しさももちろんでしたが、何々をやらなくては、、という毎日に忙殺されていました。
でも、1か月以上が過ぎ、なんとか日々の生活にも慣れてきた今は、ただ毎日が寂しくて
何をやっても、どこに行っても、脳裏に妻の笑顔が浮かんできて、胸が苦しくて
会社でも家でも笑えています。でも心の中はいつも辛いです。ただ妻に逢いたいです。
時間が薬だと言いますが、どのくらい時間をかければ楽になれるのかな
大切なひとを失った方、立ち直れましたか?
59347通目の宛名のないメール
お返事が届いています
名前のない小瓶
父親の元に逝きたいです。お父さんの元に連れて行ってほしい。あの世に逝きたいです。辛いです。苦しいです。
ななしさん
私は中一の女子です。昨年一月、母がガンで亡くなりました。私が幼稚園の頃に病気が分かり、手術もして、数年間再発もなく、家族で遊んだり、本当に楽しかったです。
でも私が小4の最後あたりで再発、さらには転移。でも頑張ってくれて、抗がん剤も痛い治療も本当に頑張ってくれて。でも、小6の夏ぐらいから急に悪化し始めて、緩和に入ったときは父も私も覚悟はしていました。
そしてそのまま、母は亡くなりました。
私は母に言われた言葉があります。
「ママ、あんたの笑ってる顔が一番好きだよ。あんたが泣いてたら、ママも泣きそうになっちゃう。」
この言葉を母の病室で思い出して以来、私は泣かなくなりました。私は周りに恵まれて、頼れる人がたくさんいます。だから、私は頑張れます。
きっと小瓶主さんも、一か月以上過ぎて、だんだんと奥様が亡くなったという実感がわいてきて苦しくなってしまったんだと思います。無理して笑わず、頼ってください。少しでも気持ちを吐き出してみてください。
いつか、「苦しいけど、頑張ろう」と苦しさを受け入れることができるはずです。
長文失礼しました。応援しています。無理はしないでくださいね。
ななしさん
10月に妻が亡くなりました。結婚15年です。毎日泣いています。時間が解決してくれると人は言いますけどそれは無いと思います。逆にこの思いが無くなってしまう恐怖もあります
ななしさん
最愛の妻をがんで亡くして今年の12月で6年になります。
あっという間に月日は経ちますが毎日毎日、妻の事を
思い涙があふれてきてしまいます。
立ち直る?とは
立ち直ることは不可能だと思います。
認知症になってしまい忘れてしまわない限りは
ゆっくりゆっくりとその日その日を生きていくしかないです。
ななしさん
5年前に、夫が亡くなりました。今でも、寂しいです。
伴侶の喪失が、こんなに、つらいものとは、経験した人でないと、分からないと思います。
早く迎えにきてほしいです。
ななしさん
夫婦は、先に逝く方はいいけれど、残される方は、つらいですね。先に逝きたかったです。再婚してもらっても、かまわないから。
toraneko
妻は胃がんの悪性スキルスでした
発覚してたったの半年で逝きました
もう最悪でした
泣いても泣いてもどうしょうもない辛くて辛くて
お酒も飲んだしお金も使い果たしました
ばかですね
妻はこんな私を怒るでしょう
立ち直らなくては思うのですが
思い出しては涙があふれてしまいます
どうすればいいのでしょう
会社も辞めてしまいました
お金もありません
逢いたいです
でもね
なんとかしなくちゃと思います
このままじゃ会う顔がないですものね
あなたに約束しますね
かならず立ち直ります
一緒に頑張りましょうね
名前のない小瓶
(小瓶主)
小瓶主です。
ご丁寧なお返事を頂きありがとうございます。
お二方共、まるで私の心の中が見えているようで、
とても心に響きました。
3ヶ月が過ぎましたがまだこの痛みは減りそうにもありません。ただ、娘たちには私の全身全霊をかけて、愛情を注ぎ育てていこうと思います。
名前のない小瓶
奥様のこと、
大切な大きな存在でいらっしゃるのが伝わります。
実母が亡くなって間もなく一周忌を迎えます。
父は、母の病気が分かった時から幾度となくむせび泣いてました。
悪態もよくついてました。
葬儀の準備や相続の手続き他、バタバタしている時は、
「何で俺がお前の手続きをしなくちゃならんのや。アホが」とか。
母よりも歳上の方にお悔やみをいただいた時は、
「アンタが送ってやらなあかんかったんに」とか。
遺品整理をしていたら、父がプレゼントしたけど一度も袖を通していない服がポロポロ出て来て、
「着なかったら意味ないのに、アホや。着ていける所に連れて行ったら良かったなぁ」とか。
間もなく1年、泣く回数も悪態の回数も減っているようには感じます。
もう70も半ばなので家にひとりでずっと居るとボケてしまうからと、
地区の役員を引き受けたり、サークルに入ってみたり、
ネットで調べたレシピを参考に料理をしたりして毎日を過ごしてます。
ですが、色々な理由をつけて、納骨はまだしていません。
美味しいものを食べてる時は、
「母にも食べさせてやりたいな」って呟いて鼻をすすってますし。
父のお出掛け用品には、
「この母が一番綺麗やと思う」と言う写真が加わりました。
例え近所のスーパーに行くにも母を連れて行ってるようです。
日にち薬とは言いますが、
父を見ていると、どの位かも分かりませんし、
どうなったら立ち直ったと言えるのかも分かりません。
母を思い出しては、自分の気持ちに素直に生きているように、私には見えます。
納骨についても、父の思うようにするのが一番だと、家族は口出しはしないことにしました。
娘さんがまだ小さいこともありますし、
父とは置かれている状況は全く違いますが、
奥様のことを思い出さずにはいられないでしょうし、
でもそうやって、生きてる人は日々が過ぎていくんですよね。
娘さん達と3人で奥様のお話をしたり、一緒に泣いたり、笑ったり。
行きたかった場所、思い出の場所に一緒に行ったり。
今は、ご自分と娘さん達がご飯を食べて、睡眠をとって、そこに奥様を感じながら日常を過ごしていく。
そんな時なんだと思います。
様々なことが奥様に結びついていく、そんな時なんだと思います。
その時間を大切になさってください。
娘さん達のことは勿論ですが、
小瓶主さんご自身のことも労ってあげて下さいね。
長々と支離滅裂に失礼しました。
ななしさん
離婚率が高まっている寂しい現代で、そこまで想われた奥さまは幸せ者ですね。
素敵なご夫婦だと思います。
私は幼馴染みを亡くして6年目です。
生まれた時から小中高校まで一緒、その子の誕生日が元旦で、初詣はいつも一緒でしたから、年末年始の度に思い出します。
今でも思い出すと涙が流れます。でも、最初の時みたいな神様を恨んで殴り付けたくなるような衝動はようやく無くなってきたかと思います。
確かに人は忘れる生き物と言いますが、喪ったばかりの人には、そんな日が訪れるなんて想像もつかないですよね。一生この痛みは消えないと思うでしょう。私もそうでした。
でもね、1日中思い出さなくなる日も来ます。故人のマグカップを見て買った日を笑顔で思い出せたり、生前のドジ話を笑いながら話せる日も来ます。本当です。
主さんは同じ家に暮らす奥様だから、私より長くかかるかもしれませんが、苦痛は確実に減ってくると思いますよ。
あなたの喪失感を思うと胸が痛いです。
私は身内じゃないから、毎日泣いているだけで良かった。でも主さんは自分の悲しみだけでうずくまらず、残った家族を守っている。尊敬します。
一緒に頑張りましょうね。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。