僕はずっと将来に言葉にできない不安を持っていました。人はいつか死ぬのなら10秒後に死んだって、10日後に死んだって、10年後に死んだって同じだと思ってました。ここ数ヶ月、いやな出来事が続いてそんな考えを持っていた僕はもう死のうと決心しました。死ぬからには誰にも、特に家族には迷惑をかけずに逝こうと思い、様々な準備をしました。自殺場所には誰にも迷惑をかけない樹海を選び、遺書を書き、はさみとロープを鞄に入れ、家族には塾に行くと言い家を出ました。遺書を見つけても死体が見つからなければあらぬ期待を持たせてしまうと思いiPhone を探すの機能をオンにしておくことさえもしました。河口湖駅からは徒歩で向かい出発から約7時間後、着いたのは日没の時刻5時25分より五分前のことでした。道中、心は凪のように穏やかで心の防御機構が働いたのかと思っていました。ですが、樹海に入った瞬間僕は怖気を感じました。明らかに温度が低くもうあの世に来てしまったようで鳥肌が立ちました。樹海は化け物の胃の中みたいな景色でした。ごつごつと隆起した地面は苔むしていて歩きづらく、木々は恐ろしげな影を投げかけていました。入り口から100メートルあたりでしょうか。一度止まり僕は周囲を見回しました。あまりに静かで不気味で寂しい風景でした。その時ああ、死ぬってこういうことなんだなと僕は樹海の中で思いました。こんな何もない寂しいところで何も感じられず永遠を過ごすということなのか。虫の卵を植え付けられ、獣に内臓を喰われても何もできずに腐っていくだけなのか。そう気づいた瞬間に僕は心の底から死を恐ろしく感じました。まだ死にたくないと思いました。そして足場の悪い地面を蹴って、蜘蛛の巣に絡め取られながら一心不乱に徐々に暗くなっていく森から逃げ出しました。パッと出たら丁度河口湖行きのバスが出ており無我夢中で飛び乗りました。死が追いかけてくるような気がしました。長々と書いてしまいましたが、僕が言いたいのはただ一つ。死は怖いんです。空想の死と現実の死は全くの別物です。もし、僕が飛び降りや飛び込みを選んでいたなら死ぬ瞬間に怖い死にたくないと思ったことでしょう。こうやって生きて帰ってこれたのは幸運でした。死にたい気持ちをずっと持っているなら一度縄とハサミを持って日没間近の森に入ってみるのはどうでしょうか。静かな救いだと思っていた死が、生々しく恐ろしいものだと知ることができると思います。死の怖さに気が付けば、楽になります。世の中、死ぬよりマシなことばっかだと。長々と失礼しました。この言葉が世界の誰かに届けば幸いです。