12月30日。
これが掲載されるのは年明けかな。
今年は人生の分岐点だったと思う。
受験に失敗した。
浪人生になることを決意した。
自傷行為の良さに気づいた。ハマった。
親の不倫を知った。ショックどころじゃなかった。私の10年間の努力が消えた。
カウセリングに通い始めた。この決意は私が生きる糧になった。良い判断だった。
半年通った予備校を辞めた。
そして今はニートをしている。バイトはしていない。
今までの辛さと苦しさにプラスされた親の事実。逆にそれによってカウセリングに通う決意もしたし、自分自身と向き合うようになった。複雑だけれど。今だに憎さは変わらない。でも困ったときにやっぱり親なんだと感じる。胸がいたい。
今年も生きれた。ぎりぎりのところでなんだかんだ生きた。自殺しそうで怖かった。でもどこかでできないと知っていた。未遂までも行けないって。ただ手すりに手と足をかけるだけ。怖くて泣いて終わる。でもこれだとみんな分かってくれない。未遂だと本当に死のうとしたんだって、辛かったねって分かってくれるのに。羨むところじゃないと思う。でもそれくらいじゃないとみんな理解してくれないんだ。辛さも苦しさも。あなたなんてそんなまだまだよって。波乱万丈なんかじゃないって。そうなのかもね。でも死にたかった、消えたかった。苦しかった。生きてたくなかった。それで一杯だったんだよ。
来年どうしたいとかどうするとか、分からない。分かってたら困らない。興味があるものを持ってる人を羨ましく思う。
まだ心の中で、病院にいって鬱病と判断されたい自分がいるようだ。苦しさと辛さから逃れられない。それでも来年を迎えようとしてる。生きようとしてる。この先何があるのかな。 そして来年も宛メでたくさんお返事をかけるといいな。
ななしさん
他人事とは思えずお返事を送ります。
私が生まれたときから家はゴミ屋敷で、毎日のように家で怪我をしたり物が崩れて怒られる日々に少しずつ病んでいきました。
今日を生きていくことで精一杯な私には勉強なんてできるはずもなく、当然大学は不合格でした。
通っていた高校は私以外みんな進学していて、母は私に良い大学に行って欲しいらしかったので浪人しました。
病院に行きたい、と両親を説得するのに半年かかりそこから勉強できるわけもなく今に至ります。
大学に落ちてからゴミ屋敷も私の体調も変わっていません。
少しでも今の自分から抜け出したくて4月から社員登用制度があるところのバイトをしようとしていますが、両親に大学に行くよう説得されています。
長文を書いてしまいごめんなさい