ななしさん
私、今日友達とランチに行きました。
友達が「トイレ行ってくる」と席を立ちました。その時、椅子の背もたれにかけていた友達の上着が落ちました。でも彼女は、落としたのに気づかずに行ってしまったんです。
私はその上着を拾って、はたいて、もとどおり椅子にかけ直しました。
トイレから帰って来た彼女は、私が上着を拾ったことに対してお礼を言いませんでした。落ちたのを知らないんだから、当たり前ですよね。
その時私は、わざわざ「さっき上着落としていたから、拾ったよ」なんて言いませんでした。気づいて拾ってあげられただけで満足で、それに対して「ありがとう」て言葉を欲しいとは思いませんでした。
愛とは、与える側と受ける側があると思います。
与える側とは、自分がやったことに対して、何の見返りもないのに、何の得もないのに、自分1人で充分嬉しくなれること。
そして受ける側とは、そういう見返りを求めない優しさにも敏感に気づいて、感謝を伝えられること。
もしランチの時、友達が何かのきっかけで気づいて「もしかして上着拾ってくれた?ありがとう!」と言ってくれたら、私はきっと嬉しくなったでしょう。
愛がわからない人は、まず、受ける側をきちんとやることから始めて見たらいいと思います。
もしかしたら、主さんも、気づいていないうちに誰かに何かをやってもらっているかもしれませんよ。それを出来るだけ見つけましょう。
例えば電車で、降りようとしたらドア付近の人が降りたり退いたりしてスペースを作ってくれた。
当たり前の行動でありマナーかもしれませんが、「自分が降りやすくする為に動いてくれた」と考えたら、これも愛だと私は思うんです。だから必ず「ありがとうございます」と言ってから降ります。
エレベーターに先に乗った人が「開」ボタン�を押して後から乗る人を待っているのも。
狭い道ですれ違う時、止まって先に相手が通り過ぎるのを待つのも。
バスや電車でめちゃくちゃうるさい赤ちゃんの泣き声に我慢するのも。
あまりにも当たり前だけど、全部、愛です。
よほど自分勝手なタイプでない限り、人は毎日、他人・知り合いに関わらず、何かしら譲り合ったり我慢したり、気を利かせたりしながら生きています。
それにどれだけ気づけるか、「あ、今、私、優遇してもらったな」と気づいて感謝出来るかが、まず大事です。
そうすれば次は自分が誰かにやってあげられる。上手に人を愛してあげられる。
そうして愛を受けて、愛を与えてを繰り返す内に、特別な感情が自然に生まれるんだと思います。