恋人から愛されている。
ただ、それは性交渉の上で成り立っているものなんだと、考えてしまう。
たとえば、自分が恋人からの誘いを断ったとしよう。
1度や2度、数回までなら、まだ理解を示してぐっと堪えてくれるかもしれない。
でもそれが数ヶ月続いたら?
週に1回デートして、月に2回お泊まりするような交際を続けていくと仮定して、
数ヶ月、性交渉を断ったとして、それでも恋人はまだ自分を愛するのだろうか。
そもそも断ったことがないから、1回でも断ったらどうなるか想像がつかない。
おそらく愛してくれるだろう。
1回断るくらいなら、大丈夫、だと思う。
断ったことがないのは、恋人の機嫌を損ねたくないとか、そういうのではなく、
断る理由がなかったから、これに尽きる。
なんだかんだ性交渉は気持ちいいし、愛されていると史上3番目くらいに実感できる方法でもある。
だから断らない。
これでも付き合い始めよりもずっとよくなった。
最初の時は、それこそ性交渉中じゃないと愛情を実感できなかった。
1度だけ、恋人が性交渉をする前に寝てしまったことがあったが、
その時の自分は泣いて泣いて、ひどい虚無感に襲われていた。
お前のことは別にそこまで愛してないから、とつきつけられたように感じた。
今、その時よりもずっと、恋人は自分を愛してくれている。
毎日の電話に文句言わず付き合ってくれる時と抱きしめてくれる時、これが愛を実感するツートップになった。
でも、たまに、やっぱり性交渉じゃないとだめ、
自分たちの関係の前提としてこれがあると考えてしまう時がある。
それが今この時だったりするのだけど。
やはり身体から始まった関係は続かないのかもしれない。