カウンセリングに行くのが怖くなった。
カウンセリングに通い初めてもう二年弱になる。はじめの頃はカウンセリングに行くたびに疲れてその日は丸一日寝るような生活だった。どうしようもなく自分が駄目な人間だと思い知らされるような感じがした。
薬を飲んだりしだしてマシになってきたら、今度はなにか話すのが怖くなってきた。みんなだめな自分のせいのような気がする。
周りの人は普通にこなせることが自分にはできない。死にたいけれど、それはだめなことなのだと言われる。よくわからない。
自分は統合失調症だ。自分が言うのもおかしい話かもしれないけれど、統合失調症は甘えだと思う。他の人がどうかはわからないけど、少なくとも自分の場合は。
まともな兄がいる。おなじような虐待を受けてきたけれど、兄は統合失調症ではないし、自分よりいい大学に行っている。公務員を目指しているらしい。自分よりまともで、頭がよくて、できが良くて、なにも勝てる部分がない。
はじめからいないほうが良かった。生まれてきたくなかった。死にたいけれど怖くて死ねないまま生きている方がずっと辛い。
大学に行きたくない。引きこもっていたい。誰とも会いたくない。早く死ななければいけない。怖い。
骨が折れているわけでもないのにベッドから起き上がれないのは甘えだと思う。統合失調症の症状はさまざまだから、他の人の症状にまで口をだして甘えだと言うつもりはない。でも自分自身は甘えだと思う。
多分この小瓶は掲載されない。このサイトも息苦しくなった。少しでも問題があるような小瓶は全部シャットアウトされる。自分の病気に対してこう思った、こう考えた、というだけでも、全部弾かれる。
どんどん世の中全体が息苦しくなっていくようなきがする。それとも自分がだめになっていっているのか、よくわからない。早く死なないといけない。
死んで誰かに迷惑かけるな、というけれど、それはなかなか難しい。死体を発見する人のトラウマだとかを考えるなら、知らない土地の駅で特急電車に飛び込むのが多分一番だろう。その日のツイッターに自分の死体が載るかもしれないが、誰か親しい人が学校に来なくなって心配してみに来た人に発見されるよりかはよっぽどマシだろう。
駅員さんや電車を利用する人には申し訳ない。できるだけ電車の来る間隔が広いほうが迷惑にはならないだろう。常磐線の最果てにでもいって、ときわがひたちに轢いてもらうのが一番いいのだろう。
死の恐怖をどうやったら乗り越えることができるのか知りたい。首をつるのは怖い。最後の椅子が蹴れない。