いつからか、津波の映像が見れなくなった。
あの震災で身近な人が亡くなったわけではない。
何故見れなくなったかっていうと、あの日に見たテレビのせい。
あの日は、小学校で、帰りの会の準備をしてる最中だった。
関東住みだから、揺れは大きかったけど、物が少し倒れるくらいで。
当時の私は大きい地震なんて体験したことなかったから、逆にわくわくしていた。
生まれて初めての、訓練じゃない、本当の避難。
防災頭巾被って、校庭に出て、親が迎えに来るまで待つことになって。
校庭から見渡す限り、大きな被害とか見当たらなくて、なんだ大したことないじゃんって友達と話してた。
はしゃぐと怒られるから、ヒソヒソ話。
どうやら来週は午前中で終わることになりそうだって話が出て。
小6だったから、うわー小学校最後の給食のカレー食い損ねたー、とか、本当にくだらないことばっかり、話してた。
親が迎えに来て、じゃあまた来週ねー、って友達と別れて帰った。
金曜日だから上履き持って帰る日だったけど、準備してる最中に揺れて避難したから忘れてきちゃった、とか、帰る途中、親に話してた。
でも、家に帰って、テレビをつけて、それで、目が離せなくなった。
テレビに映るのは、住宅街だったりするんだけど、みんな壊れてる。
ぐちゃぐちゃに、ぺっちゃんこに。
中継映像って書いてあるけど、こんな世界知らなくて、意味分からなくて。
でも何より目に焼き付いたものがあった。
ほんの数秒だったと思う。
長くて直線の道路を、軽自動車がひたすら走ってる映像が流れた。
その車の後方、近くて遠いような、遠くて近いような距離に、コーヒー牛乳みたいな色をした津波が、車と同じ方向に進んでた。
ズームアウトで両者が映されている、その数秒間、わずかに、でも確実に差が縮まっていくのが分かった。
すぐに映像は別の場所に切り替わった。
しばらくは毎日のように、住宅街に流れついた船とか、流されてく家の屋根に避難する人とか、はちゃめちゃな光景ばかりが映されて、どれも印象が強すぎた。
それをうまく呑み込んで消化しようと精一杯だったから、あの車は衝撃映像の1つとしか捉えられなかった。
その衝撃も、長くは続かなかった。
こんなことが起こっても、少し経つと、私の(ほぼ)日常が戻ってきて、中学入学だなんだかんだで忙しくなって。
どのメディアもずっと震災のことばっかりだし、CMはずーっと「ぽぽぽぽーん」ばっかりだし、つまらないし、いい加減うんざりし始めていた。
おめでたいはずの卒業式も入学式も何も嬉しくない。
そういう場で大人の口から出て来るのは、だいたい震災の話ばっかり。
被災して亡くなられた方々の中には、皆さんと同じ年齢の子もたくさん云々、今生きて入学できていることがどうたらこうたら。
まだ自分しか見えてない年頃だったから、被災地に思いも巡らせつつも、やっぱり嫌以外の何者でもなかった。
だから、いろんな意味で嫌な記憶として、震災の記憶に蓋をした。
それから数年経って、学校生活も落ち着いてきたくらいから、津波の映像を見るたびに、あの車が必ず思い出されるようになった。
ようやく、認識し始めた。
ああ、あそこには命があったんだ、って。
思えば、テレビに映った、あの大量の映像の中に、人なんて大勢いて、亡くなっていったんだろうなって、考えれば分かるんだけど。
映っているのは濁った水と瓦礫だらけで、人なんかどこにも見当たらなかったから、実際のところ現実味がなかった。
(現実なんだけど)
でも、あれは、違った。
画面越しだけど、目に見える形で命があって、必死に逃げてて。
あれがどこかなんて知らないし、誰かなんてもっと知らないけど、確実にそこには、命があった。
そして多分、散った。
逃げ延びていてほしいって、思うんだけど、周りに何もない一本道で、あの津波の速さで、って考えると、私には“生”が導き出せない。
あの日、あの時、あの車の人と同じように散った人達が大勢いるんだって、だいぶ遅くなったけど、ようやく認識できるようになった。
あれから8年経って、私は20歳になった。
もう、8年も経ってしまった。
3月11日が近づくと、今さらのように涙が出てくる。
まだ、津波の映像が映ると、目を背けて別のことを考えようとする。
少し前まで、映像を流す前に「津波の映像が流れます」って字幕が出ていたけれど、最近ではやめてしまったみたいで、不意打ちで見てしまい、うっ…となる。
多分、見れるようになるには、もっとずっと年月が必要で。
涙なしに思いを馳せるには、もっともっと、ずーっと必要かもしれない。
30年以内に90%とか言われてるし、馳せる前に、私も同じ運命をたどるかもしれない。
でも。
いつか、きっと。
名前のない小瓶
70007通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
1通目の方も書かれていますが、私も当時宮城県に住んでいました。
リアルタイムで津波の映像は見ていないけれど、
川の水が海に向かって走っていく引き波の様子は、この目で見ました。
3月が近づくと、毎年思い出します。
あの日からしばらく続いた非日常生活。
怖かったこと、我慢したこと、どうしようもなかったこと…
見られるようにならなくても、
大事なことを忘れなければいいんじゃないかな。
名前のない小瓶
もう8年、まだ8年と言う感じですね…。
住んでいる場所や被害は違えど、人それぞれの傷がある。
津波映像の警告、もうやってないんですね…(テレビほぼ見ないので知りませんでした)。風化しているのかなと感じます。
私、当時宮城県に住んでいました。
津波被害のないところでしたが、インフラが使えない、買い物もろくにできないといった状況で恐怖や不安でいっぱいだったのを覚えています。
津波の映像(他地震被害など)を初めて見たときはとにかくショッキングでした。
住んでいる所から離れたところで起きているのに、身近な事のように感じて。私もこうなる?なんて不安に駆られていました。
今でも映像やその他関連写真等見ると、当時のことをはっきり思い出します。
うまく言えませんが…
長い長い時間がかかるかもしれませんが、いつか映像を見ることができるようになるといいですね。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
死ななきゃいけないって思う
最近の悩みを一つ溢してってもいいでしょうか。
要約:テスト嫌すぎて嫌でほんとに嫌なんですが…。吐きそうー吐きたいーって話。
最後に
今もまだ漂ってます。誰も居ないところでゆっくりしたい。出来ればちょっとだけ日常から離れたい。ゆっくりした非日常がいい。子どもの頃に夢なんて聞かないでほしかった
友達ってなんだろ。いつもいつめんで三人でいた。いろんなことがあってとても仲良くなった。だけどある女子が友達をとっていった
返事すごく時間かかっちゃった。この時間が無駄でも塵でも【書いた】という実績は手に入れました
××××。長くてごめんね、、、
最近不眠で困ってたけど、マットレスを買ってみたらすごく眠れた。自分でもびっくり。
社会。僕らは真っ黒な海の底で生きている。
※僕の自傷と処方薬の過剰摂取(過度ではない)と希死念慮のお話です。完全に自分語りです。※
何でもかんでもついてこないで欲しいひとりでやってほしい
課題が多すぎて嫌になっちゃう
友達の彼氏が好きなんだ。友達と、自分は恋のライバル!って感じで、バチバチしてたんだけど、やっぱりLINE交換されたら無理だよね。友達は他の人経由でLINE交換したらしい。
夜だ。
空手道部✕演劇部✕生徒会=……?