僕は、幼少時の家庭環境のせいか、
ひとの顔色ばかり伺い、あいての望む自分を演じては苦しくなることを繰り返しています。
簡単に言うと究極のイエスマンです。
嫌なことが嫌と言えず、
辛いことにも笑顔で答え、
全て相手が望む形にハマることを辞められず、気づけば苦しみしかない、そんなことを繰り返していたら死にたくなりました。
本当はきっと認められたいだけだと自分でもわかっています。
でも、変われません。
どうやったら少しでも楽になれるでしょうか。
名前のない小瓶
70063通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
相手の顔色伺わないから
平気で人間関係切れるし保留出来る。
この人と関係続けても自分にとってメリットも無いなと思ったら
その人のこと、「どうでもいい人」枠にいれちゃってます。
だって出会いなんて沢山あるし、その都度関わる人も違うし、それに本当に仲の良い人はもういるので、それ以外の人は、それ以上それ以下という枠には入らず会わないなら会わないで大丈夫な人に分類されていますね。
友達の友達は他人、という考えなので特別親しくなりたいと思わない限りは面倒なので関わりません。
関わることで生じる面倒ごとのが嫌いですから。
人から見て多少冷たいように映る人でも良いやと思います。
優しい人間は苦労しかしません。
なら自分困らないから冷たいって思われても構いません。
精神的にも人に頼らない。頼ると頼る人が常にいないと駄目な人間になります。
そういった人間は脆いです。支え合うのではなく、一緒に崩れ落ちてしまいます。
ななしさん
嫌われてもいいと思う。
ななしさん
皆んなにいい人
している時の自分が好きって人いますよねー
それで自己満足に浸れるなら構わないと思いますが
わたしは無理でしたね。
好きなうちは優しくしたいと思うし、しかし心の中では、この人に優しくしなきゃいけないと思いながら接してきたのだと思いました。
相手に可愛いわたしを見せてきたのは、相手のことを心から好きでいたわけではなくて単純に、可愛いわたしを他人に見せていたかったから。
優しく心が綺麗なわたしの良さに圧倒されろ〜と思いながら接してきたわけだから、相手はわたしを嫌うはずはないんです。
一度心がスーッと無くなれば人は非情にもなれてしまうものです。
今のところ大切だなと思える人はわたしの中では限られていますが
限ることができるのは幸せだなと感じます。
あと、優しいのが必ずしも良い結果を招くとも言い切れません。
これは学習していけば分かるかと思いますが、「優しくしておけばいいでしょう」精神は通用しない。人に優しくするだけで本当に好かれるなら苦労しないからです。
よく「本気になって相手とぶつかり合いながらでも関係を深めろ」と、言いますが
それは、気持ちの持ちようによって変わるし、ぶつかり合いたくない人からしたら、ぶつかり合わないように付き合っていこうぜーになるので根本的に本気になって相手とぶつかり合いながらでも関係を深めたいって人とは価値観も合わないのかなーなーんて思ったりもします。
ななしさん
「相手の顔色をうかがう人が陥りやすい罠」
という文章がネットにありました。
読んでみてください。
くすりやさん
お気持ち、お察しします。
誰かの役に立つために、嫌なことでも、成し遂げてきたのですね。
その努力や苦労をだれもわかってくれない、褒めてくれない、感謝されてるのか?わからない、、、。
私も小さいから、親に、人に迷惑をかけるな、自己主義だ、と、言われて育ち、あなたと同じ状況です。
一度、みんなにいい人、やめてみませんか?
最初はきっと無理だと私は思っていたのですが、心を鬼にしてやってみると、意外と簡単だと気がつきました。
あなたの人生はだれかのものではありません。あなたが主人公で生きていっていいのですよ!
お互い、無理しないでいい人、卒業しましょうね。
以下はまだお返事がない小瓶です。
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