それじゃない感が半端ない。話に気が
籠らないのはなぜなんだろう。その
状況から脱したくて得意なものを見つ
けて打ち込もうとしたのに。二つある。
一つは次のステージへ移る時だよ。もう
一つは奢った心を正しなさい。次の場所
ってどこ?このまま留まっていたら、
地獄が待っているのかもしれない。
ひたすら探している。ないものを。答え
なんかないと諦めたら楽になれるのに、
答えを求めてもがいている。訳が分から
ない。時々弛んだ糸がピンとなって、
そういうことだったのかと生き返る時も
あるけれど、掴んだのは藁。こんなこと
を延々と続けて、虚しさと絶望が募って
いく。客観的に見てみる。こんな風に
悩んでいる人がいるとしたら、どう思う
だろう。人を幸せな気持ちにできないのは、
自分が幸せではないから?幸せを探すのを
やめて今の状況に感謝した方が幸せになれ
るよ。同じことを何度繰り返したら抜け
られるんだろう。多分変わるのは一瞬だと
思う。なぜかあの人のことを思うと泣けて
くる。抱きしめたいし、求められたい。
それが叶わなくて哀しい。これは依存だ。
形式的に依存しないように取り繕おうと
している。成長するしか道はない。他の
どこにも抜け道はない。ストンと腑に
落ちる場所はどこですか。心の底から
安心できる場所はどこですか。成長する
とは具体的にはどういうこと?自己主張
というと、我を張るという感じもある
けれど、凛として常に流れている感じ。
寂しさの正体は何?それは流れが淀んで
いること。いつも陥る落とし穴は何?
なぜ繰り返すの?淀みが心地良い。
毎日飲むコーヒーと甘い物みたいに。
水たまりが悪だなんてそんな訳がない。
空の青が逆さまに映る世界が綺麗だ。
孤独は美しい。我を張ることも。全てを
美しいと感じる心が成長の証であって、
成功という形ではない。
71690通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
あなたは成功したいから、踏み台かオマケとしての一時的な幸福感がほしいの?
人を幸せに出来ないのは自分が幸せじゃないからって、そんなことない。
幸せな人が幸せにさせてあげられるってのは心に余裕があるから人を幸せにもさせてあげられやすいんだろうね。
強いて言うとしたら、あなたはもっと色々なものを見たり聞いたり、とにかく世の中の様々なことに触れていったほうがいい。
自分の価値観とかは凝り固まりすぎても つまらないから。
それに自分が思うのは、美 ってとてもあやふやで曖昧で、決まったものがない。
ダイヤを見てもそれを綺麗だと思う人もいれば、ダイヤを見ても何とも感じない人がいるように実に評価は様々。
孤独を美徳だと思う人もいれば、孤独を美徳だと捉えない人もいる。
だから美に限ったわけではないが、人の価値観や物差しでだいぶ変わるものなんだよ。
簡単に言うのなら、その人自身の好みに該当するか否かで変わる。
りんごが好きだと言う人もいれば、りんごは普通だ、りんごは嫌いだ、と言う人もいる。
だから批判も肯定もせずとも、そんな意見や考え方もあるんだなーと人と接していく中で感じていけばいい。
全員同じ意見や考え方って、つまらないし面白み無いし気持ち悪い。
色々あっていいと思う。
個が人を成長させてくれるし、経験から成功に繋がるのだと思う。
合わないのなら必要最低限の付き合いでいい。
気楽に生きていけばいい。
冬
最後の二行、響きました。
主さん、藁を持ってるんだよね。
それ、わらしべ長者への道。
だとしたら必要なのは、知足とユーモアじゃないかなあ。
ユーモアは地球を救う!
なんちゃって。
ななしさん
他人の心ほど難関なものは無いと思っている。
考えるのを辞めたいとき、そこから離れてしまう。
そうすることで自分が楽になる。
いつも離れてみては気楽さを感じている。
もしかしたら、楽を味わっているという実感を感じていたいがために誰かと一緒にいて、自由が欲しくなった時に自由を感じたいから離れてみたりするのかもしれない。
自分勝手だ。
でも辞められない。
自分が安心出来る場所なんて無い。
信じてみては期待外れ、期待をしないで一緒にいるぐらないなら別れたい。期待せずずっと一緒なんて辛すぎる、なら離れたくもなる。
腑に落ちる感覚がわからない。
言葉では腑に落ちると言える。でもそんな時は大概は諦めに近い感情からの腑に落ちるという表現法としてしか使わない。
自分の居場所は自分で作ると言うが、グループに属したい思いは薄い。
ただ気が向いたら会えるそんな関係性でいたいだけ。
依存がないぶん、だいぶ自由だ。
だけどある程度の依存性が無いとグループとなるとキツイ面もあることにはあった。
気乗りしないなら一人だ。
でもこんな自分が好きだからこれでいい。
無理してまでそこにいる必要もない。
寂しさの正体は、自分にしかわからない。
ただその寂しさは埋めることも出来る。
寂しさを埋めるために何かをするのと、寂しさを受け入れつつ無理せずただ日常を過ごしていくのどちらがマシか、自分なら後者を選ぶ。
寂しさはなかなか埋められない完全には。
時が過ぎるとともに過去にケリをつけることが出来るから、ただ今を生きていくことで、寂しいといった苦しみからは解放されていくものだと思う。
今を生きればいい。
それしかないよ、答えなんか無いとしたら生きていくなかで何か見つかるんじゃない?
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。