私のおばあちゃんは、おしゃれさんだ。
私の買ってきたファッション誌を私より興味深そうに読むし、ネイルだって欠かしたことは無い。
そんなおばあちゃんは毎年きまって一日だけ
何時もなら流行に遅れてると文句を言いそうなパーマをかけて、
元が良くてもこんなのダメね!と言いそうなくらい古いよれよれのワンピースを着て、
家でお気に入りのジャズを歌う。
おばあちゃんは見たこともないような幸せそうな顔をする。
そして毎年決まってこういうのだ。
「自由よ!私は自由なの!」
私には訳が分からなかった。
そんなおばあちゃんは数ヶ月前亡くなった。
おばあちゃんらしくない、おしゃれとは言い難い死に方だった。
おばあちゃんの遺品の中には、毎日書き留めていた日記があった。
家族の話や洋服の話、ちょっとした豆知識などたくさんのことが書いてあった。
私はふと、あの日のことが気になった。
何故あんなことをおばあちゃんはしていたのだろう?
パラパラとページを捲った。
そこにはこう書かれていた。
【やっと今日がやってきた。私は毎年この日が来る度に幸せを噛み締める。私が解放された日。おしゃれだって、パーマだって、ジャズを歌うことだって出来る。もんぺなんてもう着なくていい。虱ばっかりのストレートの髪の毛なんかもうおさらばだ!飢えなんていつかまた出来るおしゃれの為なら我慢できた。そして待ち望んだあの年の今日の正午、私はやっと元に戻れたんだ、解放されたんだ。ずっと着れることを待ち望んでいたお気に入りのワンピースを着て、久しぶりのパーマを巻いて、歌うことの出来なかったジャズを歌った。あの時感じた自由の素晴らしさ。ああ私は自由だ!】
日記の日付は8月15日、おばあちゃんの自由の日は、太平洋戦争が終結した日だった。