後悔していることがある。
「死にたい」という小瓶に、「死なないで」.とどうしてお返事できなかったのだろう。
小瓶主さんの「死にたい」という気持ちを否定しなかった。ある意味、肯定してしまったのかもしれない。
「せめて生きているうちは好きなことをして過ごしてほしい」とお返事した。今考えると、まるで自殺する前提であるかのような言い方だった。
その小瓶にはたくさんのお返事が来ている。小瓶主さんのお返事は一通もない。だから小瓶主さんがどうしているかはわからない。
ずっと心に引っかかっている。
私は2通目のお返事だった。小瓶が流れてからすぐお返事したから、小瓶主さんが読んでいるかもしれない。
私が強く「死なないで」ともし言っていたら?
小瓶主さんは本当は引き止めてほしかったかもしれないのに、私のお返事を読んだせいで深く傷ついていたとしたら?
私のお返事が自殺を後押ししたとしたら?
わからない。
わからないのに、お返事していいのだろうか。
でも、お返事しなければ小瓶主さんに気持ちが伝わらない。
特に、自殺に関する小瓶を拾うと、どうしようもない焦燥感に駆られる。
これはお返事しなければ、声をかけてあげなければ、と思ってしまう。
まるで自分のことのように心配になってしまう。
自殺に関する小瓶でなくても、悩みを打ち明けている小瓶にはお返事がしたくなる。
それなのにいつも迷う。
お返事したいのに、どうお返事をしていいかわからない小瓶も多い。
お返事のせいで、傷つけてしまったらどうしようと悩んでしまう。
どうしたらいいのだろう。