何故、正気になってしまったのだろう。
"死"が真の解放だと気付いてしまったら
"生"など滑稽で不自由で、劣等感の塊だということが痛いほど分かってしまう。
この世界がどれだけ無意味でくだらないか
分かったが最後、全てがモノクロに変わる。
狂っていて、どうでも良くなくて
とてつもなく生きたいのだと思います皆さん
そう、いつからか感じてたあの違和は
この事だったのかもしれない
勿論、正解はない
しかし、何かが違うのだ。
最期の時まで愛するであろうあの人も
汗水垂らして稼いだお金も
馬車馬のように使い回した体も
塵となって土に還ります。
愛によって生まれた己が
愛に生きるかは定かではないのです
しかし何故、生き急ぎもがくのか
世界が楽しむための操り人形だと思わんかね
本当の自由は生きている限り手に入らない
人間である以上
自由に振る舞うことは出来るが
いつでも責任は伴う
毎日
誰かに操られていて、縛られている
己の人生に期待し
価値を見出そうとするのは楽しいかね
見い出せないのが辛いかね
期待の後ろで黒々とした落胆が
こちらを覗き込んでいる
奇妙な笑みを浮かべながら
ひっそりと。
満足な幸せなど存在しない
その先またその先が欲しくなり
満足の先には不満がある
求めることは罪だと思わんかね。
今日、何をして生きるか
明日は?明後日は?
最期はどうだろうか
楽しいか、悲しいか、虚しいか
今私たちは死に向かって歩いているのだ
死から目を逸らしてはいけない
時が来たら、抱いてみてはどうだろうか
歓迎してやってはくれないだろうか
それでも死に怯え、拒否するか。
現実から目を背け、生きるのか。
死は何れも値する
ななしさん
ねえ
生と死
そして悪と善
この世を支配しようと思ってるイルミナティユダヤヲ知ってる?
確かに我々は自由ではない
社会
おかねという管理社会に産まれてきたときから
凡て縛られてる
何処かネパールの奥地にでもいって
ひとり生活したとしても
今度は食事や寝る場所
自ら作るか探すかしなければならない
そうかんがえると
今の社会は誰かがご飯をつくって用意してくれる
お金を払えばご飯が食べれる
家も誰かが作ってくれるお金を払えばそこに住める
でもね
お金が凡てではないのだよ
お金はものはかえるけど心は買えない
お金は凡てじゃないだとすれば仕事も凡てじゃない
結局精神性をどれだけ高められるのか
人間としてどれだけ
人徳を高められるのか
そういうことじゃない?
確かにTVも雑誌も恋愛ばかり推奨するけど
そうじゃない
独りでも生きていける
誰かそばにいてくれれば心の支えになるだろうけど
大切なことは自分で探し
自分で見つけなければいけない
人から教わったことではなく
自分で見つけなければならない
そうしないから
死に逃げる死が凡てだと思う
死も又通過点
生きるも今を感じること
今を大切に生きなければ生きてる意味は無いだろう
今は今なんだよ
明日でもない昨日でもない
今何をするのか
それを見つけることが生きるということじゃないのだろうか