現状を踏まえて質問したかったのですが、少し長くなってしまったので先に質問を書いた上で現状を書きます。拙い文章になってしまい申し訳ありません。
全部自己責任で苦しくても生きることが正しいのでしょうか。そもそも、苦しんでいること自体が自己責任だから、論外でしょうか。
私は今、人間関係と就活関連のことで苦しんでいます。
人間関係のことは昔から苦しんでいます。それは、自分自身が誰にもいらない存在であることです。
私は基本的に無口で、少し真面目なだけの面白みのない人間です。一人の方が気楽だったので、講義やミーティング等話すことが必要な場合のみ話して、それ以外で人と関わるのは消極的です。
その性格が原因で、昔所属していた部活では「いてもいなくても変わらない存在」「見下していい存在」という扱いを受けました。具体的には、同期から何年もいじめまがいなことを受けても、先輩から掃除するよう指示されて一人で掃除していても、誰も気に留めもしませんでした。加えて、それらについて相談しても何も行動してくれず、一時期休部しました。
このように書くと自分が被害者ぶっていって気持ち悪いのではっきり書くと、全部自分のせいです。私が所属していた部活は人間関係を築くのが得意な人や面白い人が当たり前で、面白みのない人は粗雑な扱いを受けるのが当たり前でした。それに気づけず、「相談すれば誰かが助けてくれる」なんて甘い考えをしていた自分が悪かったのです。とはいえ、自分で解決しようとしたところで、事態が悪化していたのは目に見えていましたが。
このような経験から、このままの自分は誰からもいらない存在、いてもいなくても変わらない存在なのだと思いました。でも、何をどう変えたらいいのかすら分かりません。一人の方が気が楽なのは事実ですが、このままではいらない存在なのも本当のことです。
就活は自分が論外な人間だと分かりつつ、それを解消できていないことが原因です。
上記のことがあったので、大勢でわいわいするような団体、つまり部活やサークルは所属しませんでした。途中、学校内のアルバイトを知って勉強目的で1年ほど続けましたが、ついていけず辞めました。他の活動は禄にせず、言える事は部活をしていない分運動しようとジムに通っていることと、単位を落とさないために勉強をそれなりにした結果として成績優秀者に入れたことです。
去年の4月から急に就活の話題がでて自己分析をしてみましたが、自分には就活をする上で絶望的な点がありました。それは人と関わった経験が全然ないことです。社会もとい会社は大勢の人で構成されています。だから所謂コミュニケーション能力が重視されていて、その能力や集団での立ち位置を知りたいと企業側は思っている(はず)。なのに、自分は一人の方が気が楽だから、という理由で人と関わることを避けて3年以上過ごし、団体にも属しませんでした。最低限、必要な時に関わるようなことしかできない人が、どこで必要とされるのでしょうか。
やりたいこともなくただ学業しかしてこなかった自分は論外で根本から間違っていて、就活もとい社会で働くには、課外活動に打ち込んだりなにかしら人と積極的に関わって生活するのが当然でした。とある方にも言われましたが、私は社会で働くことに向いていないのだと思います。仮に社会で働くことができる能力があったとしても、それを証明することもできません。とはいっても独立する方法も分からず、熱意もやりたいこともありませんが。
上2つの内容は話しても解決しない(そもそも話せない)、不貞腐れているだけで結局自分でどうにかするしかない、アドバイスを求められても困ることだと分かっています。問題自体を諦めて別の方法を探すか、死ぬ物狂いで努力してどうにか解決するしかありません。
でも、だからこそ、これらの問題に悩んで苦しんで生きるぐらいなら、今すぐ死んだ方が楽になれるのではないかと思うのです。この考えは間違っているのでしょうか?そもそも、自分が勝手に苦しんでいるだけだから論外でしょうか?
自己責任といいつつこれらを聞くのは、矛盾していると思います。でも、自分は明確な答えが欲しいのです。苦しんででも生きることが正しいのか、苦しみから逃げるために生きる事を辞めるのは正しいのか、どちらかに決めたいのです。
自己中心的で、支離滅裂で恥ずかしい文章でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。