ずっとひとりで寂しい。
ひとと一緒にいても寂しい。一緒にいてくれるのに申し訳ない。
助けてほしいし、なんで助けてくれないのって思う。自分のことだし、自分の感情だし、助けてとかそういうのがお門違いなのは分かってるけど。寂しいな。
一生寂しいままはいやだな。
死ねばいいのかなって思うけど、今死んだらなんのために今まで生きてたのか分からない。
誰かに会いたい。誰でもいい。でもどうせ一緒にいてもまた寂しくなる。どうしようもない。私が悪い。
助けてくれないなんて責任転嫁しちゃいけない。でもどうすればいいのか分からない。
いつまで耐えればいいんだろう。
こういう所にしか言えないよね。面倒なひとにはなりたくない。迷惑になりたくない。
宛メの運営さんには迷惑かけてるけど。こういう所があるのはありがたい。だれにも見つからずに吐き出したい。
強い人間になれなくてもいいから求めるのをやめたいな。対価は求めちゃいけない。ボランティアみたいなものだと思うことにしたいな。でも難しい。
悲しいね。
ななしさん
どうして助けて欲しいと思うんだろ。
仮に誰かが助けてくれるとしたら、どうやって助けて欲しいんだろう。と考えたことはありますか。
自分の本心を探り、自分は何に困っているのか、どうしたいのかを知る作業です。ずっとひとりで寂しいのはなぜなの?
自分の内面のことを中心に据えて考えてみます。
仮にどうしての答えが、考えてみてもわかんない。って出てこなかったとしても、「どうしてか助けて欲しいと思う」という今のありのままのあなたの状態や考えを、誰かに伝えてみたことはありますか。
世の中ってなんだか不思議なもので、助けられたい人が世界のどっかにたくさんいて、助けてあげたいと思っている人がこれまたどっかにはたくさんいるんですよ。ただ、思っているだけでは出会いないのが難しいところ。
この人だ!と思える存在に出会えるまでに、求めているのと違う人と出会ってしまうこともまあ、あります。
いつまで自分はひとりなんだ、と何度でも落ち込んでしまうことだってあるでしょう。
だけど、あきらめないでいてほしいです。
この世のどこかにあなたに応じられる人がいて、出会う努力を続けていれば、いつかきっとその日がくる。
だから、「(よくわからんが)助けてくれー!」と声をあげる習慣は、つくれませんか。
寂しいよ。誰かといても寂しいんだよ。って、ありのままを伝えようとしてますか。
こんなことに困ってるよ、って言葉にしていえますか。
決して求めること自体が悪いのではないですよ。
正しく求めることにさえ訓練が必要なほどで、適宜周りに助けを求めるという技術をうまく使えるのなら、それは今後の人生のお守りにさえなりますよ。
もし誰かに何かをしてもらえたら、そのときは感謝を伝えて、感謝の念をずっと忘れないでいて、いつかタイミングが訪れたときに、返せる準備ができたときに、同じだけのものを、またはそれ以上のものを返せば良いのですよ。
ギブアンドテイクというとちょっと淡白な印象になってしまうかもしれませんが、困ったときはお互い様、という言葉もありますね。
自分ばかりが人に何かしてあげる必要はないのです。ボランティア精神や、自己犠牲が生きがいな人もいますが、あなたはそうであっても、そうでなくてもいいのです。
自分がどうなりたいか。何を望んでいるか、きちんと掘り下げて考えてみる努力は耐えず必要ですが、私を助けてー!構ってー!なにかちょうだーい!と求めたり、甘えたりすること自体は悪いことではないはずです。
自分一人だけで力で生きていくのは難しいのが世の中です。
やり方を間違えないことと、間違えたとしたらそれにちゃんと気づいて反省すること、それらを踏まえいさえすれば、求めることもまたひとつの選択肢であり、手段なんだと思います。