自分の中で生きる理由が無くて、
元々生きる理由なんてものは無いのはわかっているけれど、生きる希望が無くて、
死ぬ理由も無いから、居る。
それが辛いというか、やるせない。
「僕が死のうと思ったのは」という曲があって、
死のうと思った理由の歌詞には同調できるのだけれど、
最後、貴方に出会う前だったから、貴方に出会えたから世界に少し期待するという言葉、
全くわからない。
人間は人間に出会って、それが生きる希望になり得るのか。
酷く妬ましい。
人のゴールがそれならば、私には終着点がない。
あの歌詞は簡単に言えば人を好きになる(恋愛的意味であり友情的意味)ことが救いであるように聞こえる。
どうすればそうなれる?
人を好きになれない、セックスもできない、ただただ関係を持てる人間というものを妬んで、自慰行為という名のハサミで自傷し、その心の痛みで生きていることを確認している。
大好きだったものを大嫌いになる瞬間、ビックバン的革命を期待して、ただただ時間を貪っている。
ただ、純粋に、辛い。
自分が自分の生きる希望となり得るならばとっくに生きている。
本質的な希望を望んで手を伸ばして、届かないことを理解し、線路と電車の隙間を見つめてしまう。
必死にシャッターを切って、自分の存在を残してそれで確認する。
あまりに哀れ、儚く、脆い。
その不安定さに身を委ねて海に浮かぶ底知れない恐怖のように、安心する。
それで完結できるようになりたい。
名前のない小瓶
105116通目の宛名のないメール
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ななしさん
(小瓶主)
まず、お返事ありがとうございます。
貴方のその生きる為の行動がみっともない大人に含まれるのならば私もみっともない大人になります。
いえ、それ以下ですかね。
それを甘んじて受け入れているわけですから。
その憂鬱さに辛さを憶えながら溺れたい。
脱却は諦めているんです。
でも、生きる希望は皆、欲しいでしょう?
自分の生きる希望となり得るものを探すと同時に諦めている現状に気持ち良くなりたい。
人と較べないことができる人間がいたらそれは新人類ですよ。
皆、出来ないから争い、妬み、羨み、劣等感と優越感に踊らされ、社会が回っている。
自分を嫌いにならないようにする為には(或いは自分を好きになるには)、他と較べない限りどうしようも出来ない。
そう思いませんか?
何事にも基準がなければ判断がつかない、それが人間という生き物でしょう。
それが破滅に繋がることを理解していても、そうせずにはいられない。そうでしょう?
自分の価値の無さと生きる希望の無さは似ていますね。
人間が「生きる」上で一番必要なエネルギーは必要性だと思うんです。
皆、本質的には自分の必要性が欲しいから関係を築き、仕事をし、家庭を持つ。
それは生きる上で必要な自分の価値を確かめる為に。
生きる希望となり得ることは「生きる」上で必要なこと。自分の価値。
出ないと彷徨ってしまうから。
自分は既にそうなんです。
自分が自己完結型人間なのは気づいています。
だからお返事のお返事では無くてただの意見の押し付けになっていると思います。
気分を悪くしてしまったら申し訳ありません。
ななしさん
生きる希望?あると、きっと救いになるかも知れませんね。私にはそんなものないですが。あったかも知れませんが忘れちゃいましたね。事情は、全く違うでしょうが、私はただ生きているだけ。働いてるだけ。飯食うだけ。酒飲んで、寝るだけ。
生きる為にしてることなんて、私の場合、そんなもんですかね。
こんなみっともない大人になりたく無ければ、嫌でも勉学に励んで下さい。一生。
私と貴方の違いは、今は一つだけ。
私は常に人に恵まれている。無論、彼等はそれが商売だからだが、私のような馬鹿でも、困った時には助けてもらえるんです。
だから自分も、馬鹿なりに勉強するんです。例え、それが、誰の為にならなくても。
生きてる限りは、勉強です。人様から、良い意味でも、悪い意味でも、学ぶしかないんです。
結局、他人様は関係ないんです。
人を好きになれなくても、仕方ないです。
せめて、人様とは較べず、御自身は嫌いにならないように気をつけて下さい。
死に魅了されると、知らず知らずのうちにご自身の価値の無さという根拠の稀薄な罠に陥ってゆくので。
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