ほんの少し、私がこのサイトと付き合っていくうえで決めたことを書きます。
なんだか説教をしているような、小うるさい文章に見えてしまう恐れがありますが、
これは私のためだけに宛てた小瓶です。
あなたはあなたのスタンスでこのサイトと付き合ってほしいなと思います。
それだけ先に但し書きます。
えっと、このサイトとの出会いの話から始めますね。
見つけたのは中学一年生のころで、9年も昔のことです。
なんだか繊細な名前の、優しいサイトがあるなって
ある時たまたま気づいて利用するようになったんです。
当時は何を海に流したかな・・・。鮮明には思い出せないけど。
ここであったことは、私にとってそこそこ良いものとして保存されています。
(中学二年生の時、教室で仲間はずれにされている友達に相談されたときには
このサイトのことを教えたこともあったんですよ。)
そこから2年に一度くらいの頻度(オリンピック!)でここを思い出して、
ちょこちょこっと投稿したり。
で、また最近戻ってきたんですが
昔の私がいかに、困っている誰かに声をかける意味というものを考えられていなかったか
痛いほど感じたんです。今も考えきれている気が全くしませんけど・・・。
「この言葉もらって少しは嬉しいのかな」
「何か手をさしのべたいような気持ちになっているけれど
私が理解しきれないこの相談に答える資格があるのだろうか」
とか。
昔の私は本当にバカなので、優しい言葉はどれもプラスになると信じこんでいたんです。
理解したふり、無意味な共感、応援のおしつけ、つらいときに逆効果ですよね。
拾われていない小瓶を見かけると、
なんだか切なくなってついつい文章を打ってしまう衝動ってあるんですけどね。
それと、文章の書き手の感情って透けてしまうんです。
顔がみえないからといって・・・むしろ顔がみえないからこそなのでしょうか。
今一度自覚する必要があります。
他人に簡単に救われることができないのと同じで、私は他人を救えない。
ほぼゼロパーセント。
その無力さを噛みしめたうえで、
おずおずと困っている人の視界の端っこに私の姿を映すような
話を聴くほうとしての謙虚な姿勢を何より大切にしたいのです。
もちろん、フランクな一言が気持ちを救うことがあることだって知ってます。
あと気軽なやりとりもあって良いと思います。そういうの大好きです。
ただ私はそんなにセンスに優れていないのです。
この小瓶を読んだあなたへ、
もしよかったら私の返信をたまに監視していただけないでしょうか・・・。笑