決して楽しい内容ではないので、読むのは自己責任でお願いします。
気付いたら死ななければならないという使命感に近い感情が、私の中に居座るようになっていた。
元々は死にたいと思っていた。そう思うようになったきっかけはいじめ。実際に行動に移したことはないけれど、幼少期から死にたい気持ちは私のすぐ傍にいた。
そこそこ長い間いじめられていたけど、私とずっと居てくれた友人は多いし、私を守ろうとしてくれる大人もいたから、確かにしんどい時期を過ごしていたけど恵まれていたと思う。しんどいながらもそれなりに楽しかったし。それに気付いたのはいじめられなくなった高校時代に入ってからだけど。
だから、死にたいとは高校時代には思わなくなっていたはず。ただ、その代わりに死ななければならないと思うようになってしまった。
変な話だとは思う。死にたいと思うようになったきっかけのいじめが無くなったのに、変わらず死について考え続けているなんて。
きっとそう言うことを考えるのが癖づいたんだろうなと勝手に考えてはいる。それに、いじめ以外にも、自分で言うのもあれだけど自己肯定感が明らか低いのも原因なんだろう。
私は要領が悪い。行動が遅い。鈍臭い。融通は効かない。物事に対する視野も狭い。これは小さい頃から散々言われてきた事。私は不出来だ。
そういうのも、死ななければならないと思う原因だろう。それらのせいで生きていてはいけないと、誰にも言われたことはないし私も思いはしないのだが、確かにそれらも死ななければならないと私が思う理由の一つだ。
死ななければならない。
何で?と聞かれると返事に困る。正直、私も何で死ななければならないと思っているのかいまいち分かっていないから。本当に、分からない。
現在は、ずっと夢見ていた職について、楽しい日々を過ごしている。いじめもないし、人間関係も悪くないし、良い人たちばかりに囲まれていて幸せである。なのに、死ななければならないと思う。
現状に満足していない訳ではないと思うのだけど、何なら死ぬのが惜しいなとさえ思っているのだけど、そう思っているのに絶対に死ななければならないんです。考えるのをやめたところでその気持ちは喜怒哀楽と同じように、さも当然のようにそこにあるんです。
死ぬ歳を決めて、死ぬ日も決めて、職場に迷惑はかけたくないのでいつ頃に退職するか考えて、死に方は模索中だけど死に場所の目星は付けて、死んだ後の葬儀代やらここまで育ててくれた分のお金を返す為に計画的に貯金して…。死ぬ気満々じゃん、と他人事のようにたまに笑ってしまう事もある。
スマホで、あと何日で〇〇って表記するアプリをインストールして、それで死ぬまであと〇〇日とかしてると、日付が変わるごとに減っていく日数をみて「あぁ…」と儚いのか安心なのか分からない感情に襲われる。そんな事してるから死ななければならないと思う気持ちが消えていかないんだろうとは思うが、止められない。
私はあと何日後で死ぬと突き付けられるたびに、微睡みのような心地良さを感じる。…もしかしたらそれを得る為にそんな事ばかり考えているのかもしれない。不謹慎が過ぎる。
ここまで計画的(?)だと、本当に死ぬんじゃないかと思いますよね。こんな不謹慎な事している私自身、本当にその時になったら死ぬのか?と自分を疑っているんですけど。
死んだらきっと悲しんでくれる人はいるだろうし、泣いてくれる人もいるだろうし、もしかしたら後悔してしまう人もいるのかもしれない。でもそんな人たちに申し訳ないとは思わない。最低だけど。
私一人がいなくなったくらいじゃ当然、みんなの生活は変わらない。その瞬間は暫く辛いかもしれないけど、一年も経てばどうって事なくなる。多分。
家族に関しては、知らないかな、一番どうでもいいかもしれない。他人よりも他人だと思ってるくらいには、どうでもいい。
親同士は不仲だけど、決して親と子の関係は最悪ではない。普通だと思う。ただ、家族は私のことを友人よりも理解できなかっただけで。私のことを理解できないと言い切ってたし、死にたいと思ってると相談した時も迷惑かけずに死んでくれと言ってきたような人だし。その事はまだ根に持ってる。
だから家族のことはどうでもいい。ただ世話になった分のあれこれはしっかり返しておかないといけないとは思うから返すけど。一番申し訳ない感情を持たない相手ではある。
ここまで長々と書いた訳だけど、そもそも何で書いて流そうなんて思ったのかは、私が単純に「何で死ななければならないと思ってるんだろう?」と疑問に思い、書き出して整理しようと思ったから。
助言が欲しい訳じゃない、慰めが欲しい訳じゃない、共感もいらない。ただこんなことを考えてる人もいるんだなぁと認知してもらいたい。それだけです。