また此処にやって来てしまいました。
びう、です。
いままでより文章が破綻してそうなので悪しからず。
書くことは前と殆どと言っていい程代わり映えしないんだけどね。
私が私である必要は皆無だってこと。
じゃあ何で此処に居るんだよ(憤怒)
まあ、タイトルにもある通り、前言の譫言に加えて、
私が私以外である必要がある、
要は私を他の誰かと入れ換えた方が良いのでは、
って思って。
どんどん私のカーストが下がっていくなって、
↑それってYO!自分の思い込みじゃんかYO! ┓
↑でも事実であることには変わり無いだろ←┛
いつもの自己矛盾ですはい。
話は戻るけど、
どうしても幸福の享受は、私には相応しくないと、
最近は思うようになったんですよね。
或いは元より不幸になることを、絶望をこの胸に抱くことを望んでいたのかもしれません。
それで同情を得られると?
努力の遺棄を他人に認めて貰うことで自分自身を正当化しようとしているだけだろ。
烏滸がましいにも程がある。
分かっているんですよ。
人は各々を大切に思うことで互いに居場所を作っていること、
自分は今でもその輪の中に入っていること。
でも、愈々人を信じれなくなって、
友情とか愛とかをランドセルに置き忘れた自分が、
今でも猶、友達がいて、情人がいて。
結局は幸せを喪失するのが怖いんだろ。
でも、掌に隙間を開けて幸の粒子を溢しているのは紛れもない自分自身。
双を為す内なるパラドックスが亀裂を作り、
他人の優しさが、外部からもたらされる幸福が、
見えざる杙となり打ち込まれた結果、
自分自身が何者かも分からなくなっていった。
もう、いいですよ。
畢竟私が居なくても代わりは幾らでも居るのなら、
私はこの侭、死んだも同然の生を生きるんでしょうね。
いつがいいかな。次こんな心情になった時?一年後?あまり未練多すぎても嫌だしね。
手段は苦しくない方がいいな。Heとか、COとか。
最期くらいは烏滸がましくても、身分不相応でも、
私が決めれたらいいな。
...
まあ、嘘だと思っといてください。
どうせ、考えるだけの思考はあっても、実行に移すだけの勇気はないんだから。
もう此処には来ないことを祈るけど、また来るんだろうな。
びう、でした。