ただ生きていたくないから死にたいだけ。
「死にたいと言うひとも、こころのどこかでは生きたいと思っていて、ただそれよりも死にたいと思う困難が勝っているだけ」
って言うひとがいて、きっとそんなことを言えるひとはそう思えるんだろうと思うけども、
自分は生きたいとはどうしても思えないのです。
眉目秀麗とか質実剛健とか文武両道とか、どんなに素晴らしい人物であろうと生には苦難が付きまとうんだと思います。少なくとも自分は、どんなに優秀になれど苦難からは逃れられないと思います。
では、苦難から逃れられたら生きたい?
いいえ。苦難を知らないものは他人の痛みも分からないので、どうしたって他人に迷惑をかけるし、それを反省することが出来ないので嫌です。
では、苦難から逃れ他人に迷惑をかけずに居られたら生きたい?
いいえ。
そんなものがあるなら、それはただの人形であり、それこそ生に意味がなくなります。
じゃあなぜ死んでないのかって、それも答えはシンプルで、本能に勝てるほどの思いはないからですよ。
本能と感情(思い、こころ)は別物でしょう?
人間には生きようとする本能がどうしても備わってしまっているのです。人間に限らず命あるものならそうだと思いますが。
「生きたいと思えないから死にたい」
とかいう自分のふざけた単純な願望では、本能には抗えないのです。
少し前、自分が嫌いなおじいちゃんの先生がいましたが、そのひとは
「生きているなどと烏滸がましい。君たちは生かされている、生かしてもらっているんだよ」
とのたまっていました。
自分を生かしているひとがいるのなら、そんなもの自分の願いではないので殺してください。
詳しくは忘れましたが、先生のことばは要は両親に感謝しろ、的な内容だったと思います。
…………勝手に産んだくせに。
まぁそんなことを言う自分でも、さすがに
「勝手に産んで勝手に育てたんじゃん」とか
「生かさなくていいから死なせてよ」とかは
親に言えるはずもないですが。
いつか生に感謝するんだとしても、今は生を呪っているのだから、結論としては不幸ですね。
生に感謝する未来なんて来なくていいから生きている限り続きそうな生への呪いを終わらせて欲しい。
ま、こんなこと言いつつ、1年ほど前に病み期とも涙ともおさらばしたので、これはただの不平不満、愚痴に過ぎませんが。
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ななしさん
「あなたが死にたいと思って生きた今日は〜」から続くわりと有名な言葉も、私はちょっと苦手です。
死にたくないイコール生きたいでもなく
生きたくないイコール死にたいでもないよなぁと思います。
困難なんかなくても死にたくなることはありますしね。
ただ、こういう死にたさを抱えてるからこそわかることもあるのかなと思っていて、主さんの嫌いなおじいちゃん先生みたいな凝り固まった考えの人間にならずに済んでよかったみたいな気持ちもあったりします。
死にたいと言うことが悪みたいな風潮、嫌だなぁ〜
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