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両親が教師であるとき、子どもの立場でどんなときに一番辛さを感じますか?苦しくなりますか?両親が教師で

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お返事が届いています

ななしさん

両親とも小学校教諭、兄が教員免許を持っています。

良かったこと。
先生方からの覚えが良かったことでしょうか。珍しい名字なこともあり、「○○先生の娘さんだね」と、普段親しくない先生にも覚えてもらえました。それが得になったかというと微妙な所ですが。

悪かったこと。
教員免許を取らないことが親への反抗とみなされたことです。
大学時代、教職課程を途中で辞めました。元々教員志望ではなく、家族から「教職を取っておいても損はないから」と教職課程を取るよう言われました。口下手で子供が苦手な私には辛かったです。

当初から、なりたくない職業の資格だけを取ることに違和感はあったのですが、勉強するにつれ「教員志望で頑張っている友人や、指導してくださる先生に、私は今とても酷いことをしているのではないか」と罪悪感を募らせるようになりました。
詳細は省きますが、罪悪感は日に日に増し、それが原因でノイローゼのような状態になり、母に教職を辞めたいと伝えました。当然、反対されましたが、何度も説得を重ねましたが「具合が悪い」とメールも電話も途中で切られがちでした。
父は「なりたくないなら仕方ない」と理解してくれ、母と話し合ってくれたようですがどうやら火に油だったようです。

「育てかたを間違えた」。最後の頼みの電話に返ってきた言葉がこれでした。母は泣いていました。本音だと分かりました。

私の人生は、なるか分からない資格の為に全否定されたのかと絶望しました。
その翌日、母には言わずに教職課程を辞めました。メールで伝えたところ、ひとこと「ふざけるな」と返信が来ました。思いの丈をメールで返し、かかってくる電話も数日無視しました。そうでもしないと、自分が潰れそうでした。

今思えば、兄が教育学部に進学、教員免許を取ったのにも関わらず一般企業へ就職したことで、私には先生になってほしいというエゴが加速したのだと思います。


教職課程を辞めてからも一年ほどはノイローゼ状態が続きました。
時間が経ち情緒が安定している今でも、家族に「どうして辞めたの、もったいない」「○○ちゃんは先生になるんだって。いい子ね」と言われると涙が出ます。

親に失敗作だと宣言されて、傷つかないわけないんです。その記憶が消えないんです。

職業人として尊敬できても、親として人としては心から母を信じることが出来ません。それが苦しいです。

長々とすみません。

ななしさん

両親共に小学校教師です。嫌だと思ったことは正直ないです。わたしが小学生の時、父と同じ学校だった時期もあります。でも父は学校では教師として、学校を一歩出ると父として接してくれます。両親どちらも勉強を教わるということもそんなになく、他の家庭と変わらないと思います。また、程よく放任主義なので勉強しろとうるさかったり必要以上に首を突っ込んできたりしません。わたしの家の場合は家では先生としてでなく親として接してくれたので嫌だと思ったことはありません。

ななしさん

親にはたくさんの「子ども(生徒)」がいて、自分だけの親じゃないんだなあって漠然と感じてきました。

どんな職業の親でも、仕事のために子どもの行事に参加できないって、よくある事ですよね。
でも職業が教師だと、「よその子の世話ばかりして、自分の事は構ってくれない」みたいに感じてました。
実の子の自分より、よその子が大事なんだ…と。
今でもそれは思います。
生徒を「自分の仕事の部品の一部」みたいに割りきってる人はほぼいないと思います。特に小中学校で長い時間を一緒に過ごせば、好き嫌いはあれ、少なからず擬似親子のような感情も持つでしょう。人間を育てる仕事ですから。

一番辛かったのは、受け持った優秀な生徒さんの話を例に出して「あんたももっと頑張らなきゃ」と言われた事です。今思えば、家庭では自分だけのお母さんでいて欲しかったんだと思います。よその子がどうとか関係なく、「早く宿題やんなさい!」だけで良かったんです。

でも、ぐずぐず泣いてた私に父が言ったんです。「お前の担任や部活の顧問だって、家に自分の子どもをおいて、お前の世話をしてくれてるんじゃないのか?」と。
それで何だかはっとしたんです。私は担任も顧問も明るくて厳しくて大好きな先生でした。いなくなったら寂しいし困ります。ああ、母の生徒さんも同じなんだと気づいて、それからは自分ばっかりと思うのは止めました。

とっくに成人した後になって、母から後悔の言葉をぽつぽつと聞きました。親としてもっと手をかけたかったというようなことです。家で構ってもらえなかった分、私は自分の居場所が欲しくて、友達や恋人やバイトや趣味といった外の世界に興味を持つことが早かったと思います。どんどん離れていく子どもに、母も親として寂しさがあったようです。それで私も子どもの時、辛かったことを話しました。
これから、親子のやり直しをゆっくりやっていこうと思います。


最後に。
どんなに不満を持っていたとしても、不良になる、家庭内暴力、乱れた異性交遊…なんてことには、私はなりませんでした。それはやっぱり両親に確かに愛されていた証拠と思います。当時はっきりとわからなかっただけで。
何年もかからないと気づかない愛情もありますね。

ななしさん

授業参観や運動会、行事事が重なり来てもらえないときにつらかった
勉強が苦手だったが、高校の先生に『親は頭がいいのになぜお前は頭が悪い』といわれたこともあった
いいとこなんぞない

ななしさん

はじめまして。

わたしは両親が教師で
嫌なんてことないですし、
そういう子が居ても
なんとも思わないです。

両親が教師なら勉強を
教えてもらえるし、
教師をやっているなんて
すごいと思います。

変に気に病むことは
ぜんぜんないですよ!

ななしさん

小学生の頃は
親と私の学校の行事の日が
かぶっちゃって
来てくれない時が多くて
寂しかったなぁ

あと、周りに『両親先生だから
あなたも先生になるでしょ?』
と言われることが多かったから
困った(苦笑)

嬉しかったことではないけど
両親の転勤で私を全部受け入れてくれる
友達ができて良かったかな。

ななしさん

両親とも教師です

あからさまなひいきにあいます
私は地味ですがどちらかというと態度の悪い生徒でした
担任が親と知り合いだったことが多かったので
人の何倍も担任の先生に怒られました
親が体罰とか気にしない(今問題になってなかったらバンバンしてると思います)ので
現代っ子のなかではかなり体罰にあってるほうだと思います

あとほとんど家にいません
勉強は教えてもらえませんというか専門教科以外は中学レベルでもほとんど忘れてるのであてになりません
授業参観体育祭には基本的に来ないです

親が教師だから、学校にバレやすいからという理由でカラオケとかに誘われたりしません(私の地域では学生のみのカラオケ禁止です)

親が教師で得したことないです


まあ、多分私はかなり蔑ろにされてるほうの子供だと思いますのでみんながみんなこうではないと思います

でも別に親が教師じゃなきゃよかったとは思いません
自分はもちろん家族を蔑ろにしてまで自分の仕事をまっとうする姿はすごく尊敬できる社会人だと思います
寂しい思い、つらい思いもたくさんしたけど
自分の親が家族や自分の時間や自分の出世ばかり優先するカスみたいな教師じゃなくて本当によかった


りぃにゃ

ななしさん

投稿者さんからお返事きたよ

投稿者です

教師は公務員。
社会的地位も高い。
私が知っている大体の教師が国公立の大学卒。

教師の中でも小学校の教師って、何でもできる。
体育も、図工も、5教科もできる。

家でも学校でも教師に囲まれる生活。

私は、教師ってその子どもにとって、存在が凶器になるんじゃないかって思うんです。
私の両親は教師ではないから想像だけど。

頑張っても、両親も同じことが自分以上にできる。
親を越えることができない。
周りの期待も両親が教師というだけで高くなる。

私のこの想像、みなさんはどう思われますか?

ななしさん

両親の転勤で…の記事を書いた者です。
親を超えられないというのは、
それは他の大人の人も同じでは??
年の功って言うし。
あとやはり先生といえども家では
普通の父親、母親ですよ。向こうも
そう思ってるし。

私は親を超えられないというよりは
親はこんなことを大学でしてきた
んだ!私も大学で沢山学びたい!と
考えています。

ちなみにこの前英語の先生に
数学を聞いたら
『あぁ!?忘れた(笑)』と言われました(笑)

ななしさん

投稿者さんは、我が家に帰っても『教師』をなさるおつもりですか?

差はあれど親は『師』であるものだと思っています。
(反面教師も含め)

私の両親は教師ではありませんが、二人とも生き字引でまさに辞書要らずでした。

うちには小学生の子が居ますが、宿題を一緒にする時に『こんな時先生ならどんな教え方をするんだろう?』って頭抱える事がちょくちょくある位です(笑)

5教科全て教えてもらえるなんてラッキーだと思うけどなぁ。

ななしさん

こんにちは。私の両親は高校の教師なのですが、得したことよりも損したことのほうがはるかに多かったです。高校受験のときなんか父親に自分の勤める学校に入学しろといわれ、喧嘩ばかりいていました。しかもそれは地方の進学校で、体罰が平然と行われているような所でした(汗)。試験前には夜中の10時から3時ぐらいまで勉強させられるし、分からなければむちゃくちゃ怒られ物は投げつけられるし。おまけに帰りも遅いのでよく家事を押し付けられました。
教師といってもいろんな人がいると思います。
小学校4年生の頃の先生は生徒思いで、とても優しい先生でした。
教師になるためには、世の中にもまれたり広い世界に出て挑戦したりする事が必要ないので、大人になりきれない人が多いのかもしれません。
今になって思うことは、両親が世間知らずでかわいいということでしょうか?それが唯一、私が得をしたと思うことですね。

ななしさん

はじめまして。私の両親も教師です。昨年姉も教師になりました。
みなさんの投稿を読み、私だけじゃなかったんだと、なぜか涙が出てしました。
振りかえって見て、私の場合プレッシャーが多かったように思います。
家でも「教師」、一般論しか言わない両親と、それが通用しない友人関係の軋轢の中で、一時期不登校にもなりました、つらかったことは、両親共仕事で忙しくかまってもらえなかったので、気を引きたくて、認めてほしくて、親や周りの期待に応じ過ぎたこと。それから、家でご飯を食べながら親の話を聞いていると、「クラスの●●(生徒の名前)は~。」など、いつも親の心を独り占め出来ないようで寂しかったこと。また、父親が部活の顧問をしており、朝練から放課後の生徒指導まで、お盆もお正月もほとんどない状況でした。だから、家族皆でで遊びに行った経験が少ないこと。
嬉しかったことは、父母の生き生きと仕事に打ち込む姿から、働く大変さを学べたことです。
よくメディアにたたかれる業界ですが、本当に身を粉にして、教育のために働いておられる先生方、本当にたくさんおられます。
私は教師としてではなく、行政の方から、働きやすい環境を整えていけたら、と考えています。
なんだか、まとまりのない文章でごめんなさい。

ななしさん

こんにちわ
私は母、父ともに教師(高校)です
辛いこと↓
高1から大学入試の準備を怠るな!、など進路に何かとうるさい
考査が近づいたら留年したらタダじゃおかないぞ!って毎晩4・5回は言われる(そんなんこっちもやだよ)
学校に携帯持っていくな!ってうるさい(夜間定時に通ってるから無いと不便なのに・・・(実際学校側も許可状態)
母が自分の学校で使う用のテストを私に(おかしな所が無いか)試験的にやらせられる
携帯を(何度説得しても)高校になるまで持たせてもらえなかった(ろくなことにならんとか何とか・・・)
ナゼかゲーセンに行くなって・・・(無視して行ってるけど)
母が自分の学校のテストを採点するときに、なんか「あんたならここなんて書く?」って夜遅く(am3:00くらい)までつきあわせられる
Wordが嫌いな母に学級通信を作らされる(転勤で一太郎とゆうワープロソフトが使えなくなりそれ以来私をこき使っていろいろ作らされる)
私が部屋で飲もうと買ってきたBlendystick カフェオレを定期的にパクられる

嬉しかったこと↓
入試の時面接練習をより詳しくできた
入試の時もし落ちた時のために最後の手段を用意してもらえた(母が通信制高校に友人がいるらしい)
勉強を本業なのでどこもかしこも教えてもらえる(親の担当教科のみ)
親が家での仕事用に使ってたPCをくれた(タダでゲットできて得した気分)

くらいかな?

ななしさん

何かと岐路に立たされている時、大して知りもしないのにさも知っているかの様にアドバイスをしてくる。大学受験の時に気付いて「コイツ何も分かってない」と気付いたから良かった。結婚の時期が来ても母親には何も聞かない。

後説教のやり口が汚い、自分からは決して謝らない。
1:99だろうが99:1だろうが100:0で自分が悪いことにされる。
反発すると「じゃあお前は何も悪くないのか!!!」と恫喝され中間は何も無い。大体「ハイハイ俺が悪い俺が悪い」で終わり。

はっきり言って見下しています。得なことなど何も無いせいぜい母親だから生活が裕福にはなっているんだろうな。くらい

子供が出来ても躾には参加させん

ななしさん

悪かったことだらけでした。父親は暴力を振るい、無理矢理私立中学を受けさせようと永遠と説教したり(下の子はその姿を見ていた為、私立中学に行きました)市立に行き、成人式で笑えたわたしと、場違いすぎて出席もできなかった下の子、どちらが、何が幸せなんでしょう。
あと、先生用の答案用紙を見てるから成績がいいと陰口も叩かれました。成績は勉強が出来て良いほうだったのに、悔しくて勉強が大嫌いでした。その後、勉強をしなくなったので、成績はボロボロでした。
いいことなんて一つもないなと思ってたけれど、母親の受け持つ児童のかわいいエピソードを聞くとこのことだけは、良かったなと思います。駄文失礼しました。

ななしさん

こんにちは。
私は、母親が、私立学校の教師です。
今までいいことなんてありませんでした。

でもそのことを愚だ愚だ書いてもどうにもならないので、いくつかだけ書きます。

「1」まず、教師の子供ってだけで、頭がいいと思われます。私は公立の小学校に行っていたんですが、ずーっと、頭がいいと思われてきました。私は、期待を裏切らないように、そこそこ頑張って、テストとかもいつもそれなりの点を取ってました。 私がそれなりに努力してたのに、友達は、大して勉強もしない癖に、「頭良くていいなあ…」とか、「○○(名前)はお母さん先生やから、わからんとこ教えてもらえるしいいよなあ・・・。」とか、しまいには、「内緒で、どんな問題でるか教えてもらってるんちゃうの??」とかいろいろ言われてきました。
まず、教師の子供だから頭いいとか、ありえへんし、親は自分の教え子には、まあ他人やし、仕事やしって割り切って、細かくじっくり教えるけど、実の子の私には、教えてくれない。っていうかいつも帰ってくるのが7時過ぎてて、土曜も授業あるから、私に教えてる時間なんかないし、まず、母が返ってくる前に宿題終わらせてたし。どうしてもわからなくて、教えてって頼むと、「なんでこんなんもわからんの!!」と怒られる始末。

「2」参観なんか絶対に来ない。私は学童に行ってたんですが、学童に行ってる子でも、参観日は親が来るから、学童は行かない。だからいつも一人で本読んでた。参観日でも、迎えの時間が間に合わなくて、真っ暗の中、20分ぐらい歩いて、一人で帰ってた。 でも、そのくらいは、まだ我慢できた。最悪なのは、土曜参観とか親子交流とか。私はそんなの興味なかったけど、欠席はできなかった。 土曜日は普段参観に来れない人もいっぱい来てて、来てないのは私のとこだけだった。理由は、母の学校の授業、またはバザーとかぶるから。 土曜は普通に授業がある日だから、一般の土曜参観は日曜参観になってる。 その振替で月曜家にいて母親ずらされるとが、すっごいいややったし、腹が立った。

「3」常に一人。
私は友達はいっぱいいるほうだったけど、学童に行ってたから、放課後は誰とも遊べなかった。高学年になって学童をやめて遊べるようになったけど、遊ぶ相手がいなかった。別にはぶられてた訳じゃない。実際一緒に帰る子はいっぱいいた。でも、長年の感じで、放課後一緒に遊ぶメンバーに私は入っていなかった。それが当たり前。だからみんな、私の前で、何時に○○ちゃん家集合な!!とかを普通に言っていた。それを私はただ笑ってきていた。もし、「一緒に遊びたい」って言えば入れてもらえただろう。でも、一緒に遊んでも、会話についていく自信がなかったし、訳の分からない会話を横でにこにこ笑っていられるわけがなかった。
だからずーっと1人だった。

まだまだいっぱいあるけどきりがない。

最後に、振り絞って見つけたいいこと3つ。
1、年上、目上の人と話すことに躊躇しない。(母の学校の先生と話す機会が多かったため。)

2、ほとんどの料理を作れるようになった。(遅い日の夕ご飯や、土日の昼ごはんをつくっていたため。)

3、一人が平気になった。←今では、家族でも人がいると落ち着かない。(ずっとひとりだったため。)


おしまい

みわ

ななしさん

良くも悪くも成績関連だろ常考

ななしさん

同級生に親が教頭先生の人がいました。頭は良いですが、勉強勉強ばかりで遊ぶ時間を貰えなかったらしく引きこもりみたいになってましたよ。

ななしさん

ありますよ。
私はおバカなのでクラスの子には毎回バカにされています。
ですので親が教師だというともっと馬鹿にされると思うので私は絶対に言いませんが、もし親が教師だったら勉強たくさん聞けるじゃないですか。
私の親は父が理科教師で母が英語教師です。
頭はいいんですが私は友達と遊ぶ時に私の家では遊べません。
なぜかというと、私が通っている中学校は元母がこの学校で教師をしていたのでもし知っている人がいたらいろいろと面倒なのでちょっとそこは残念です。だけど私は親に感謝します。私は中学一年生なのですが普通の親の人は30代後半~40代前半だと思うのですが、私の父は30歳母が29歳でとても若く16歳で私を産んでます。
しかし母はつわりがひどくて私を産むのはやめたほうがいいなどたくさん言われてたそうです。
ですが母は妊娠する確率がとても低いにで、もう子供はできないとわかっているので、私を産んでくれました。
私は初め親が教師だったらいいことがない!と思ってて、母と大ゲンカしたことがありました。
それでケンカをした日父がこのことをおしえてくれました。
ですがまだあまりいい気分じゃない中学校へいきました。
その日は、とても暑くて私は倒れました。
親に迎えに来てもらって家に帰ることになりました。
私はどうせすぐ来ないだろう仕事を優先するだろうと思っていたら、母がとてもあせった様子で迎えに来てくれました。
とてもうれしくて母の胸に飛び込んでいきました。
その時の母の胸はとても温かかったので、安心してそのまま眠りに落ちました。
この時からこんなに私を大事にしてくれているんだな。と思ってました。
皆さんも親が教師で良かったことはたくさんあると思います。
悪いところだけでなく良かった事を考えてみたらどうですか?
長々と失礼しました。

ななしさん

はじめまして。

私の両親は、
父が体育教師で母が養護学校の教師です。

物心ついた頃から何故か
「産まれた時にネジを一本落としてきたのだろう」
みたいな事をを考えていました。
それには悲しかったり、悔しかったりするような感情はなく、
ただの事実として淡々とそう思っていました。

それはおそらく両親が教師だったからなのかと近頃思います。


両親は凄く教師としても親としても優秀で、年賀状もたくさん届くし、忙しいのに休みの日はドライブに連れて行ってくれましたし。
父が引率する部活はいつも全国大会行きで、本当に完璧な自慢の両親でした。


ただずっと謎の劣等感だけは消えなくて、それはなぜだったのかと今考えれば、
私は両親をあまりにも優秀な人間として見すぎていたんだろうと思います。


幼稚園から頭がバカで運動ができなくて、
何をするにもどんくさくて、
唯一絵をかくのが好きでしたが、私より絵の上手い子がいたため自慢できることとは思えず。

よく「私は父と母の子供ではないんじゃないか」と思っていました。
そんなことは当然あるはず無いのですが。

夜は遅くに帰ってきますし、あまり両親は家にいませんでした。
それも劣等感に拍車をかけたのかなと思います。
今でも厄介な劣等感は消えません。


これ以上なく自慢の両親ですし、
語り尽くせないほどの感謝はしています。


なのに、どうしてこんな大人になってしまったのか。
どうして全うな人間になれなかったのか。

そんな思いがずっと自分の進む道を邪魔するこの頃です。
全うな人間なんて、ならなくてもいいはずなのですが。

ななしさん

父が大学の先生です。

良かったのは、まあ勉強教えてと頼めば答えてくれることかな。

悪かったのは、
何を頑張っても「お父さんが優秀だもんね~」の一言で済まされるのと
初対面から偏見や妬みでぶつかられること。
それから、買ってきた参考書をいちいち見て難癖つけるし、酷いときは「ダメだこんなの!買い直してこい!!」
あぁ、うっかり本も買えねーや。何でもかんでも議論するから(笑)


要するに変人なんですね、うちの親父。
別に教師じゃなくても大変だったかもw

でもそこまで嫌いじゃないです。

ななしさん

父が大学の先生です。

良かったのは、まあ勉強教えてと頼めば答えてくれることかな。

悪かったのは、
何を頑張っても「お父さんが優秀だもんね~」の一言で済まされるのと
初対面から偏見や妬みでぶつかられること。
それから、買ってきた参考書をいちいち見て難癖つけるし、酷いときは「ダメだこんなの!買い直してこい!!」
あぁ、うっかり本も買えねーや。何でもかんでも議論するから(笑)


要するに変人なんですね、うちの親父。
別に教師じゃなくても大変だったかもw

でもそこまで嫌いじゃないです。

ななしさん

小学校教師の母がいます。
まず、嬉しかったことはあまりありません。経済的に余裕があるとか、友達や周りの人に母が教師だと自慢げになれるとか…しょうもないことです。
逆に、嫌なことはたくさんあります。
将来、教師にだけはなりたくありません。頭でっかちで、人を見下していて、愚痴や八つ当たりばかり。帰ってきたらご飯も作らず寝てばかりで、深夜から仕事をし始めて…時間の使い方がおかしいんです。教師間でのいじめもあるようですね。教師は頭わるいとおもいます。ペーパーテストが得意で成績がよければ教師になれますよね。エリートコースを進んできているからいじめとか生徒の気持ちをわからない人が多い。子供の気持ちさえわからない。自分の子供のしつけ、教育がおかしい。何にそんなに自信を持っているんだがわからない。おとなげない。ほんとかわいそうな人。

ななしさん

私の両親は共に高校数学教師です。父方の祖父も教師。母方の実家にも教師が多いです。

一番つらかったのは子供の時から、家庭内ルールが厳しかった事と親がそばにいなかった事です。教師だからという理由か分かりませんが、教師だから嬉しかった事という事はありません。

姉がいますが姉妹共にうつ病です。姉が先に発症したので私はうつ病と分かっていますが言えません。
つらかった事をあげていきます。
誕生日も、クリスマスもプレゼント必ずは絵本、児童書、学習用具、文房具でした。

お小遣いはありません。お手伝いをしたら貰えますが、皿洗いやお風呂掃除をしても10円~30円でした。
お年玉や親戚からの祝い金は全て親が管理していました。


勉強は出来て当たり前です。自由研究や作文は入賞が当たり前。100点取るのも当たり前。姉は学区で一番の高校に行き、名門国立大に合格しました。私は落ちこぼれです。
すぐに就職したかったので商業高か家政科のある学校を志望しましたが、反対され進学高に行く事になりました。


外泊は禁止、バイトも禁止、午後7時までに家にいなければなりません。
このルールは私が高校生の時代に反抗的になり破りました。

家に友人を呼んではいけない。理由はうるさいから、物を取られるかもしれないから。
特に私の友人は嫌われました。
高校生になると、両親を知っている先生から頻繁に話しかけられました。尚且つ私の高校での様子も報告されていました。

遊びに行く場合は、報告しなければなりません。
「中学校の同級生で○○町に住んでいる○○ちゃんと一緒に○○公園に遊びに行ってきます」という感じです。
私は今30歳ですが、同じように聞かれます。

習い事はそろばん【小学校~】、ピアノ【3歳~】、水泳【3歳~】です。
そろばんは辞めました。
ピアノは引っ越し先の先生と合わず辞めました。
水泳は中学生になって部活があるからと辞めさせられました。あと1つテストをクリアすれば選手になれた時期でした。

色々と書きましたが、教師はあまり関係ないですね。
すみませんでした。しかし私は両親から【教育】された気がします。

ななしさん

こんにちは。両親ともに教師、親族にも教師が多い教師一族です。

一番辛かったのは、ほとんど家にいないこと。部活ももっていたので土日もいません。
苦しいのは、家庭内でもやっぱり「教師」なこと。母親、父親ではなく教師。指導される。愛情を感じない。冷たい家庭です

嬉しかったことは勉強を教えてもらえたことかな。それぐらいしかない(笑)
寂しかったな。普通の家庭で育ったらどんな自分だったんだろうなんて考えます。

ななしさん

私は両親が教師でつらかったことはあまりないです。
だからと言っていいことも特にはないかな。
しかし、親は先生だから自分はいい子にしていなければ・・・という気持ちは植えつけられましたね。
それに縛られていたのはすこしつらかったです。

成績に関してなどは両親は自分の子供より他人の子優先だったため、ほんとほったらかしでしたww
おかげで頭は死ぬほど悪くはないがよくもない・・・みたいな感じです。

ほったらかされてたわりに今道をはずれずに生きているのは、友人や担任の先生やほかの先生に支えられたからです。

ですからしいて言えば親が教師だったおかげで支えてくれる人の大切さに気付けたことがいいことかな。

ななしさん

両親が中学校教諭です。嬉しかったことはありません。小さな頃から休日はどちらかの親の部活動に連れられ、たまのOFFの日は疲れてどこにも連れてってもらえませんでした。平日も夜遅く毎日祖父母の家で晩御飯でした。当時は何とも思っていませんでしたが今考えるとなんだか寂しい気持ちになります。それから、自分が学校に通うようになり先生達を見ていると熱心に仕事をする人、しない人。特にしない人を見ると遅くまで働いてる親とさっさと定時に帰宅するやつの給料が何で同じなんやろ。と思ってました。公務員(特に教員)には死んでもなりたくないです。それから父は自分が小学生くらいの頃に働きすぎたのかうつ病になりました。ここ10年くらいは休職したり復職したりの繰り返しでした。最近は元気に働いてます。あの頃は家族みんなが辛かったです。色々書きましたが今までのことを振りかえって「まぁ、これが自分の生きる道なんかな」と思えるので小さな頃の経験も無駄ではないのかなと思います。駄文、長文すみません。

ななしさん

はじめまして。
母が小学校教諭、父が特別支援学校教諭、祖父母ともに教員な教師一家の者です。
私自身も教員を目指して、教育大学に通っています。

辛かったことは、運動会や授業参観にあまり来てもらえなかったこと、とかですね。
教育方針がよかったのか、親が教員ですがあまり厳しく学習面で言われたことはありません。あまりよくなくても、頑張ろうね、と言われたぐらいです。

ただ、生活面の躾はそれなりに厳しかったと思います。夜間の外出は基本禁止、花火大会も家族とじゃないと行けませんでした。

嬉しかったことは、勉強に関する話がしっかりできたこと。質問したら、しっかりと教えてくれたことですかね。
あと、自分の周りの先生方の苦労がよくわかりました。

当然、仕事に追われまくる職種ですので休日遊ぶとかはあまりできませんでした。ですが、両親は両親なりに愛情を注いでくれたと思っています。

ななしさん

辛い事は学校の先生に、教師の子供の癖に…と文句をつけられることです。あとみんなと同じ事が出来ません。夜遊びに行きたいけど今後の自分の仕事に影響がでるからという理由で出来ません。外泊も無理です。嬉しい事はありません。接し方が生徒に対するのと同じなので家族とは思えません。

ななしさん

親が子供へ叱るときに、先生として叱るので親と認識できない。親として叱るのではなく教師として叱るので、愛を感じることができない。心を病む。

ななしさん

母が小学校の教員の母子家庭です。小さな頃から躾が厳しかった事。母の前では必ず手を後ろに組まなければいけなかった事や返事は常に「はい!」と大きな声でなど家のルールが厳し過ぎ、いつも見張られ、返事は?姿勢!など指摘を受け、家なのに気が休まらなかった。身体を鍛える為にという理由で小学生の時は半袖、半ズボンで四季問わず過ごしました。風邪気味でも許してもらえませんでした。学校が長期の休みの時は勉強を見てもらい、水泳の特訓を母から受けてました。
水泳の時は○○先生と苗字で母の事を呼ぶように言われてました。水泳指導は私が高校を卒業するまで続きました。水泳の師弟関係があったので私には反抗期もありませんでした。正確には反抗できる環境ではありませんでした。中学生になると水泳以外の家の中でも自然とお母さんと呼ぶ事がなくなってました。母というより指導者、絶対的な存在だったのです。特殊な親子だったと思います。

ななしさん

 父が中学英語教諭、母が小学校教諭。7学年離れた姉と私。両親は絶えず言い争い、父は家族へのDVが酷く、警察が来たことも何回か。園・学校行事はウチは来てもらえないのが常。病気になると、お前が悪いからだ!と、叱られるのが常。園児の頃には、朝、枕元に洗面器(吐き用)とおかゆを置いてもらい、独りで一日病苦に耐えるのが常。   辛かったのは、園のお迎え時間。いつも最後の方だったが、最後の一人になると、淋しさと気兼ねが襲って来る。暗くなると、私のために園の先生達が帰れずに困っているのが辛いほどわかる。頼まれた先生を先導して家まで送って頂き、鍵の開け方を伝える。園で具合が悪くなった時も同様、先生について来て頂き、押し入れからmy布団を出して頂き、鍵をかけて寝た。
 何と言っても両親にいちばん気兼ねしてきた。この世で死ぬことの次に悪いことは、親に心配や迷惑をかけること、くらいに思わされていた。「お前らのために働いてやっている」と言う、親のための子供の人生。私たちにはこの家しか無い。心を無くすか殺すかして生きるしかないと。能力はまあまあだけど、無理に優秀に振舞わざるを得なかった。続くはずもなく、ジリ貧は必至です。
 私には、クマのぬいぐるみ「ファミリーちゃん」がいて、どんな時にも黙って寄り添い、慰めてくれた。小3の頃には、何があっても自分は幸せになる!と、強力に決意した。
 長女である姉はそうはいかなかった。思春期には自殺未遂、高校留年、教育大学中退。結婚後子育て中にご近所トラブルで引っ越すも、精神的な病気が顕著になり、刃物で母に切りかかったりと、警察沙汰や入退院を繰り返すこと30年。60歳も過ぎている今、離婚もなく、独り暮らしをさせてもらって、やっと何とか落ち着いている様子?
 考えてみれば、私たち子供は、「先生」とあげ奉られた教師親に人格を蹂躙されていました。私も55歳になり、三人の子供たちはそれぞれ独り暮らしや結婚して自立、家族が仲良くする秘訣も学びました。自他老若男女すべてを人として尊重する。正しい愛を動機にする。謙遜であること。感謝し表わすこと。など。
 教師は、大人数の子供たちに効率よく教えようとするうち、動物の調教師みたく支配的になるのでしょうか。それとも、我が子こそと気負うあまり、急いて成長させようとして、返って著しく害してしまう方の意味で助長をしてしまうのでしょうか。
 年老いて父が亡くなり、やもめになった母は、一人暮らし中に大腿骨折、2年前、88歳で私の近所にはるばる越してきました。私の子たちは、以前から、「おばあちゃんと話してると、だんだんいやーな気分になる。」と口を揃えて言っていました。 母の人生の基盤は何だったのと最近聞きますと、自分は世間体が第一で、敢えて言うなら義務と意地で頑張って生き抜いてきた、と自負します。教師時代は忙しく、子育てとの両立は大変で、効率よく「ああしなさい」「こうしなさい」と命令でやらせたのが一番良かったと思っていると言います。昔は兄弟が多くて捨て育ちなので、自分がかまってもらえなくて寂しかった分、あんたたちには、「ああしなさい」「こうしなさい」とできるだけたくさんかまってあげたつもりやと。考えさせたり、待ってやるゆとりなんかあるわけ無いと。
 私と姉は、命令と批判とDVで育てられた結果、委縮し、特に姉は人格障害など苦しんでいるし、私もここまで来るのに大変努力してどうにかやっと家庭を幸せに出来た、ということを言った。すると母は、「大人になったら自己責任!しかも、結局あんたが幸せになれたんやったら、それはお母ちゃんの育て方がよかったっていうことになるやんか」と。私は母の影響を受けたくありません。が、せめて週一でもと、母と昼食食べますが、母がテレビを見て話すことは批判と悪口がほとんど。意地の悪いのを聞かされると、不快で辛く悲しくなります。母のもの言いを我が家でするなら、一瞬で私んちも平和が無くなるはず。「私は生家が言い争いと虐げとDVに満ちていたのは、お母さんのものの言い方や考え方にも問題があったと思う。一緒に言い方を勉強して変えてみない?」と言えば、「今更、変わるわけない、こんな年寄りに無理、これで来たからええねん、やめといて。私は器が小さいから、それでええねん」と。長年自分が教えてきた先生は、教わることや学ぶことを面倒とか、いやなこと(もしくは恥と勘違い?)として拒絶されます。人を動かすのは得意ですが、自分が変わる気は全くなさそうです。
 感謝のない高慢な支配体質の言動を振りかざされることに私は呆れます。が、トラウマですかね。育ててくれた実の母がこういう関わり方をしてくることに、私は影響され、すごく疲れ、常に胸が詰まって痛む感覚がぶり返してきています。老齢の弱った親なので、縁を切ろうとは思いませんが、苦しいです。

ななしさん

両親ともに小中の教師です。
ちなみに私は社会人1年目の23歳です。

まず良かったことは、自分の教養が増えたこと。知識が増えたこと。これは自分の人生というか、日々の生活に彩りをあたえてくれたと思っています。

悪かったことは、多いです(笑)
家は学校でした。学校以上に学校でした。だからいつも親という教師に怒られないように振る舞いましたし、その教師が決めたルールは守りました。だから友達と羽目をはずすときはなんとか隠れてやるようにしていました。でもカラオケや買い物などの遊びはわかりません。友達の空気を読んで真似は出来ますが正直わかりません…これは辛いです。
勉強もチェックされていました。夏休みは親の目が少ない学校(普通の)に行けないし、自由研究などの課題をチェックされるのでキツかったですね。行事も親の仕事と被るのが多いのであまり来ませんでしたが、来ると大抵怒られたのでなんとも(笑)

受験は姉のときは何故か親が姉の担任を信用できないからと高校の見学に自分で連れて行ったり、モンペ寸前でした……姉は高校時代その高校がキツかったらしくかなり太って見ていて可愛そうでした。
私のときはある高校の説明会に行こうとしたら、怒って「○○(親の名前)は息子をそんなレベルの高校に通わせるなんて、と笑われる」と言いました。反骨心をあおる冗談ですかね(笑)

私はその為一般企業に就職しました。親と別の視点で人生を歩みたいと思ったからです。働いてみて親の苦労やその時の発言も少しわかるようになってきました。しかし最近は互いの考え方が変わってきたようでいつも親は少しイライラしてます…

長々と失礼しました。少なくとも、勉強教えてもらえていい!というものではないですね。

ななしさん

初めまして。父が中学、母が小学校です。
いいと思った事よりも、最悪な部分の方が多かったですね。
まず、子供に対して支配的である事。進路決定も子供の意志を尊重せず、自分の理想をごり押しし、結果的に子供を疲れさせる。
第二に、介入や詮索が多すぎる事。

ななしさん

親も親戚もほぼ教師で、地元ではわりと有名な親や祖父がいるものです。
よかったことは、勉強が教えてもらいやすいこと。問題集の要らないものとかも、よくもって帰ってくれます。裁縫セットとかも、学校で見本用にあるのが、家に貯まっているので、小さい頃からさせてもらいました。
また、虐待されるわけでもなく、ほったらかしにされるわけでもなく、ごく普通に育ててもらえたことです。いろいろな家庭を見てきてるので、ノウハウはしっかりしてます。
悪かったことは、有名な家だということです。大体年配の先生は、親や祖父の知り合いで、いつもしゃべるときは、怖かったです。
なぜなら、「親の顔に泥を塗らないで!」っとよく言われるので(T-T)
あとは、私の親は、比較的行事は見に来てくれることが多かったんですが、その日の夜は、言いたい放題です。「あの教えかたはマズイ」「あんなんでよく教師なれたわ!」そんなこと、私に言われても、どうにもできませんし…
私個人としては、小学校の間は、勉強にピアノに、「さすが○○先生のお子さん!」って言われるぐらい努力してましたが、中学校は、誰も知り合いのいない私立へ逃げたので、成績はダダ下がりしました。
私にとって、親の顔を守るのは、プレッシャー過ぎました。
でも、親が教師だから、勉強もピアノも得意になれたんだと思います。親がウザイときもありますが、感謝はしてます。お腹にいる頃から、卒業式練習の歌とか聞いているので、自慢じゃないですが、音楽は他人より絶対得してます。いや、そう信じて、夢に向かって頑張ってます。
結論、私は、教師の家に生まれてよかったです。私も将来はきっと教師です。
「基本隣の芝は青い」私の母はそういいます。私の母は、まだ大量採用とかされてない頃に、採用されました。それぐらい努力したのに、子育てと介護のため、退職しました。教師の家に生まれた子は、普通の子が羨ましいし、普通の子は、教師の家に生まれたかったって、思うでしょう。
私は、母が苦難の末泣く泣く退職したのを見たとき、今までのことを、反省しました。私が不登校になった原因は、親だと思ってましたが、結局自分のせいだと気づきました。母がよくいう、「隣の芝は青い」の意味が、すごくわかりました。みんなそこまでなぜ親や教師を責めてるのか、気になりました。きっといろいろあったんでしょう。でも、過去の鎖を切り裂くには、自分が変わらないと、できませんよ。一度、良いとこを探してみるのはどうでしょうか?だって、所詮「隣の芝は青い」ですから。
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