私は最近自分の周りの人たちが、
昔の暖かい出来事やその感情を共有した人たちとは別の人のように感じることがあります。
5年。
人間関係は大きく変わりました。
誰かをこころから信じたかったけれど、人は変わる生き物で、自分の中では割り切らなきゃいけない
「自分と他人は違うのだから、他人の考えはその本人にしかわからない」を大きく痛感しました。
よく、人生の相棒や伴侶を得る話を好んで読みます。
こんな関係が自分の人生にあったらいいのにって。
ほんとのトモダチができたらいいなって。
けれど、結局トモダチの定義って何だろう。
私の憧れている関係性と、世間の交友関係の深さには少し認識の違いがあるそうです。
私はそれを孤独だと呼ぶのは耐えられない。
だから頭の中は必死に、自分の状況を肯定する方法を探している。
得られないのなら、せめて誰かの記憶に良い形で残りたいっていう感情と、自分はだれの人生の中でも一生物になれないという感情がいつも喧嘩しています。
羨ましいのです、変わらない関係性も、
年来の友情関係も
わたしにはないものだから。
こころを開いて語り合える誰かに、
いつか出会えますように。
そしてわたしのように悩んでる人がいたら
あなたみたいな考えは一人じゃないよって
声を上げてくれたら喜びます。
いつだって他人は、世界は、冷たくて自分の思い通りにならないけれど、それでも息のしやすい環境を
無い物ねだりせず、手に届く範囲で
愛していけたら素敵ですね。
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ななしさん
大人になるにつれ、人との繋がりというのが複雑になっていくな。と感じます。
色んな事が見えてくるからですかね。
私も、お互いが暖かい気持ちになれる様な繋がりを求めています。
ですが、なかなか巡り合わないな。と、感じます。
今までの人生においても、ずっと繋がりを感じる事は、もしかしたら無かったのかもしれない。
ですが、一瞬一瞬のある場面においては、誰かと同じ思いを共有したり、それが愛だと感じたりする場面もあった様な気もします。
人生って、もしかしたらそんな連続なのかもしれないと、最近自分を慰めています。
人生の終盤には、暖かい繋がりを感じられる相手に出会いたいな。と、密かにまだ期待は捨てていませんが…。
その時に向けて、自分も暖かい人になろうとは思ったり。
全く出来ていませんが。
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