悩みをまともに聞いてもらえたことが、あまりないです。
「あなたは賢くて強い人だから、大丈夫でしょう?」で終わらされてしまったり、理解してもらえなくて、きょとんとされてしまったり、相談返しをされてしまったり。
人に頼って裏切られて、結局自分でがんばることになるのなら、裏切られる工程は省く方が楽だと思い、初めから自分の心は自分で守るようになりました。
でも、ひとつひとつ、着実に問題を解決していっても、心に負荷のかかる問題はどんどん降り注ぎます。
いつか、私一人の力では解決できない問題にぶち当たってしまうだろうと思いました。
私は将来、自分がどんなに裏切られても、助けを求めるしかなくない状況に、追い込まれたときのために、策を二つ練りました。
ひとつは、自分が人を助けることです。自分がして欲しいように、丁寧に悩みを聞き、解決方法を出せるように手助けをする。
そうすれば、「悩みを聞いてくれる人」はこの世界に絶対に実在すると信じられます。
私にできることが、まさか他の全人類全員(と言っても日本語話者限定ですが…)ができないわけがない。だから、いつかは私がしてきたように、悩みを聞いてくれる人に出会えるはず。そういう思考回路です。
もうひとつは、人に苦しかったことやライトな悩みを話すことです。
自分も悩むことはあると知ってもらうこと、弱い部分もあると知ってもらうこと、傷つかない範囲での予行演習が目的です。
高校生の頃に考えて、もう10年近く取り組んできました。
ずっと、種まきをし続けてきたのです。
ひとつ目の悩みを聞く対策は、自殺未遂を止めたりするほどになったので、かなりがんばったと思います。
でも、死にたいとまで相談されるようになって、他人に苦しみを持ち込まれることがいかにしんどいことかを把握してしまったので、人に苦しみを話すハードルがとても上がりました。
ふたつ目のライトな悩み相談は、あまりうまくいきませんでしたが、私にも悩みはあるということの認知は広まりました。親近感を持たれることも増えました。
でも、前述の通り、人に悩みを話すハードルが上がった結果、答えを出しづらそうなものは控える(YES/NOで答えられないもの、ただ話を聞くしかないものなど)、親近感を持たれる範囲で話す、匿名の場や自分にあまり興味がなさそうな人に話すことで、最初から真剣に話を聞いてもらいづらい環境をわざと整えて保険をかける、といった行動に走るようになってしまったので、自分自身の変化は感じられませんでした。
その間も、本当にしんどい問題は全て自分で解決してきました。それに加えて、人の悩みにまで首を突っ込んできました。
ここにきて、問題が生じました。
砂漠にせっせと種を蒔いてきたせいで、私の両腕は、とんでもなく、マッチョになってしまいました。私は私の悩みを解決することにかけては、世界一のプロフェッショナルです。
たぶん、がんばってがんばりつづければ、ひとりで自分の心を最後まで守りつづけて、死ねる気がしています。
唯一の悩みは、それがあんまりにも寂しい気がすることだけです。
この孤独だけは解決しないと諦めてしまえば、自由になれる。反対に、この寂しさの解決したいという気持ちに従うならば、「誰かに精神的に頼る」ことを覚えなくてはならない。
それこそが、私の予期していた「いつか訪れる、私一人の力では解決できない問題」そのものになります。
この問題の解決には、他人との関わりが必須です。傷ついて傷ついて血まみれになって、それでも得られるものがあるかはわからない、そこそこ無慈悲な大冒険が始まる予感がします。
自分の力でサバイブしてきたんじゃいという、戦士のような誇りも、捨てなくてはいけません。
諦めて撤退すれば、残りは大敗を喫することのない試合ばかりの可能性が高いです。間違いなく無難です。
知り合いに、悩み相談したいかも、とは連絡をしてみました。ひとまず、青汁を奢ったら、時間は取ってくれるそうです。
私の周りは精神科通いの子や、情緒不安定で他人どころではない子ばかりなので、話しても大丈夫かもと思える人材は貴重です。この子を逃したら、ほかに話せる人が見つかるかは怪しいです。
でも、経験から言うと、本当に悩んでいることを話すのは、悪手でしかありません。非常に不安です。
頼ることができないという悩みを話せているのだから、頼れているじゃないかという、矛盾を抱えているので、そこを突っ込まれそうだし、そこを突っ込まれたらと想像するだけで胸が苦しくなります。その矛盾を解消するために、この悩みは永遠に黙っておくのが、正解なんじゃないかという、変な使命感を感じたりもします。
そもそも、話すことができるのか否かも、自分ではわかりません。いざとなったら、黙りこくるか、別の話で誤魔化すか、してしまいそうです。
第一、諦めるのと、敢えてこの問題に切り込むのと、どっちの方が幸せなのかも全然わかりません。
もう、本当に、いろんなことが、全然わかりません。
参ったもんですね。この話はこれで終わりです。
長々読んでくれて、ありがとうございます。
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ななしさん
自分の悩みを自分で解決し続けていられるなら、人として素晴らしい健康な心の持ち主だと思います。
でも、あなたが悩んでる事は多分、
「ひとりじゃ寂しいから、誰か側にいて欲しい」という事なんじゃないかなーと思いますよ。
それは悩みじゃなくて、望み。
自分の事を分かってくれる人が欲しいという
望み、希望だと思いますよ。
ひとりでいるのが寂しいという問題は、
それはひとりでは解決できませんよね。
「頼ることができないという悩みを話せているのだから、頼れているじゃないかという、矛盾を抱えているので、そこを突っ込まれそうだし、そこを突っ込まれたらと想像するだけで胸が苦しくなる」
ってありましたが、
頼れてるじゃないかって言われたら、
「本当にそうだね。アハハ。頼らせてくれてありがとう。わたしにも頼れる人がいて良かった」って答えればいいんじゃないかなと思います。
あなたは悩みを解決するばかりに特化して、幸せな希望に対しては訓練不足なのかもしれませんね。
矛盾だろうがなんだろうが、
側にいて欲しいと望むなら、心の赴くままに、話をしたらいいんじゃないかなと思いますよ。
頼る頼らないにこだわらずね。
人の心は白か黒かだけで無く、
グレーのグラデーションでもいいんですから。
矛盾を抱えたあなたを好きになってくれる人も、きっといると思いますよ。
ななしさん
誰かにほんとに苦しい悩みを話すハードルが高いこと、共感します。あるひとに言わせると私は他人に助けてと言えるひとだそうです。たしかに私は生き残るために助けてと叫べるひとです。けれど、本当に辛い誰に話したところでその重荷を持たせてしまうだけ、しんどい思いをさせてしまうことは大切なひとであればあるほど言えません。
こういうところで見ず知らずのひとに誰宛ともなく独り言のように書くことが、私の心を救ってます。酷い内容ばかりだけど、いつもありがたく思っています。
心の重荷は吐き出さなければ、心が死んでしまいます。
私はあなたの相談をきけるような器の人間ではないですが、あなたの側にそういった辛いことも打ち明けられる素敵なひとが増えることを心から願います。
私もあなたのように助ける側になれる与える余裕のある大人になりたかったです。
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