「諦め」が基本ベースの私の
「あきらめないで」なんて、大した力がないことはわかってるけど。
それでも、
虐待やいじめによって苦しいことをそのままにしてほしくはないし
自分が大切なひとりの人間であることをやめてほしくはないし
生きることを諦めてしまっても、心臓が動いたまま楽になることを諦めないでほしいと思う。
思考が働いているのなら、自分のために、あるいは誰かのために「どうすればいいか?」を追及することを止めないでほしいと思った。
それは、考えられないもののために、どうにかできないもののために、
死んでない私なら思考を働らかせられる。ただ行動はできない。文字にしてこういう場に書いて置くことしかできない。動ける人が動いてくれと祈りを込めてこの手紙を流すしかできない。
助けてあげてくれ。自分を。
死んで楽になるその瞬間までは、生きて楽になるその瞬間を目指してくれ。
苦しいなら話を聴くよ。
死にたいなら話を聴くよ。
生きてもがくことの手伝いをしたいよ。
あきらめたなら、諦めたままの君のその手をとろう。
そしてこのまま死ぬまでを僕と歩き続ける?
生きるのを少し休んで私と話をします?
それとも
心を殺さず、幸せを掴み「生きたい」という願いに
「行ってこい」と俺が背中を押して送り出そうか?
何度でも
俺が
私が
僕が
自分が
「相手になろう」
逃げる貴方の無事を祈りましょう。
立ち向かうお前の幸福を祈ろう。
休む君の安寧を祈っておくね。
ひとつでも多くこの言葉達から良い結果が生まれますように……
どうか、わたしの想いや祈りが届きますように──
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届きましたよ。
この小瓶で少しだけ、私は
自分を大切にしてあげようと
思いました。
私はもっと生きて、
不恰好でも、下手くそでもいいから
未来を掴みたいです。
勇気をくれて、ありがとう。
あなたも自分を大事にしてください。
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