睡眠。
生きている間にできる「死の練習」だって、本で読んだ。
それ以降、ぼくは寝るのが好き。
確かに練習かもしれない。
だって、寝ている間は何も考えなくていい。
夢だってずっと続くわけじゃない。
完全に意識のない状態、もといノンレム睡眠が少なからずある。
何も考えないで、何もかも忘れて、心地のいい空間で、ずっと漂ったまま。
いつか誰からも忘れられて、名前さえ思い出されなくなりそうな程、深くまで眠れたなら。
でも現実的じゃないよね。起きなきゃいけない。
アラームが鳴って、意識はすぐさま水面までのぼる。
けたたましく鳴る時計を叩いて、掛け布団を剥ぐ。
起き上がって朝ごはんを食べて歯を磨いて仕度。
それが終わる頃には夢を見た事さえ忘れてる。
それで、また消えたくなるような「生」が始まる。
いじめなんて欠片もない。虐待なんて程遠い。
先生たちもいい人ばっかり。
みんな私を大切にしてくれる。
なのに、なんでこんなに生きるのがつらいのかな。
あぁ、いや、だからかもしれない。
みんなが大切にしてくれるのに、それに応えられない。
それが、どうしようもなくつらくて。
だから毎日、「二度と目覚めませんように」なんて。
叶いっこない願いを本気で望みながら寝るんだ。
今日もダメだった。起きちゃった。
終わりっていつ来るの?
2022/03/10
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ななしさん
いつか来るさ
主さんは周囲の期待に応えないといけないと、自分自身を無自覚に追い詰めていらっしゃるようですね。
時間の無駄なのでやめた方が良いですよ。
寝ることが好きなのはとても良いことです。
誰であろうと、人生の三分の一は睡眠ですからね。
それをこよなく愛することは、なんの問題もありません。
それよりも、その大好きな睡眠が、逃避するための手段となり下がっていることは、とても残念です。勉強をして、最高の睡眠を得られる寝具を将来発明してくれたら、私は思わず買ってしまうかもしれません。
起きている時間とは、すなわちそういう時間です。お金を稼ぐか、使用するか、その前準備をするか程度でしかありません。
周囲の期待に応えることが重圧であるのは、自分にとって本当はそれが何よりも大切なことであると感じられないからでしょう。人間だけでなく、すべての生き物は、その身に危険が訪れない限り、不快なことに積極性を見出すことはありません。闘争か逃走かという言葉がありますが、これらはいずれにせよ不快感を有します。しかしそれぐらい危機的状況に陥らない限り、人も動物も行動に移さない怠惰な生物なのです。
故に、主さんがこよなく愛してやまない睡眠について、もっと熟知して、誰よりも詳しくそして素晴らしい寝具を創造してくだされば、世界は夢の中へととろけ落ち、平和と怠惰によって安寧をもたらすことでしょう。
そのころには、主さんが周囲の期待に応えなきゃいけないなんて不安は吹き飛んでいるはずです。
なぜなら、その頃の主さんは、自立してお金を自分で稼いで、親に頼らずとも自由を謳歌していることでしょう。
とはいえ、そうやって今、逃避のために惰眠を貪ってしまっては、夢の又夢に終わってしまい、儚くも幻の寝具計画は永久に消え去ってしまうことでしょう。将来とは、夢小説を具現化することにほかなりませんから。
ゆめゆめお忘れなきよう、お後がよろしいようで。
幸せなのになんで消えたくなっちゃうんだろうってずっと考えてます。こんなのバチ当たるって。生きるのむずかしいです。それでもお互い、朝起きて一日生きましょ。大丈夫、睡眠なら毎日できます。
今日も明日も明後日も
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