僕は去年の12月中頃、身体を壊した。
原因は、自分の軽率でいい加減な行動によって。
普通気を付けていればなるはずも無い事が起きてしまった。
いや、今考えてみれば、あれは必然だったのかもしれない。
考える事も話す事も食べる事も殆ど出来なかった。
とめどなく襲って来る吐き気と恐怖に気が狂いそうだった。
そしてその数日後に
世界一可愛くて大好きだった 飼い犬が死んだ。
僕が小さい頃からずっと一緒にいてくれた
大好きな存在が 天国へと 旅立った
その後、殆ど物を食べれなくなった僕は 入院した。
あの日 あの時 僕は
自分を大切にするという事が どれだけ 大切な事なのかを知った。
自分が自分の味方で居てくれた時、凄く嬉しかったのを覚えている
いや、あの時はそんな余裕も無かったな。
本当に ギリギリの所で 耐えてたから。
病院の生活は少し怖かったけど、
楽しくもあり、尚且つ 安心感があった。
入院している時は 殆どスマホやテレビは使えなかった
考えようとすると それだけで強烈な吐き気が襲って来るから。
点滴と食事のお陰で 体調は少しずつ良くなっていった。
ある程度回復して吐き気も治まってきたあと、僕は退院した。
退院した後も、まだ完治はしてなかったから 少しずつリハビリをしていった。
そして発症から3.4ヶ月経って 症状は殆ど完治した。
でも 僕は たとえ退院して病気が治ったとしても
決して忘れてはならない事がある。
それは、 「 自分を守る 」 ということ。
今までの僕は
自愛なんかとは全くの無縁の世界で 生きてきて
いつも 一人ぼっち だった。
心の中にも この世界にも
どこにも
居場所なんて無かった。
自分の事が大っ嫌いで
自分の事を醜くて気持ち悪くて 情けない存在だって突き放して
見向きもしなかった。
でも
そうして生きて来た結果が このザマだ。
何も守れず
大切な存在を大切にする事すら出来ず
いつも自分から逃げてばっかりの
世界で一番 ダサい人間になってた。
でも
僕が あの日 苦しんでいたとき
たとえそれが急ごしらえの言葉でも
たとえそれがその場しのぎの言葉だったとしても
自分が自分に優しく語りかけてくれた
「 大丈夫だよ 」
その言葉に どれだけ 救われたのか
どれだけ 嬉しかったか
どれだけ 安心することが出来たか
僕は 絶対に
忘れちゃダメなんだ!!!!!!
僕はね、あの時 幸せだったんだ。
自分が自分の味方をしてくれる。
自分が自分の事を守ってくれる
優しくしてくれる
それが こんなにも 嬉しくて 幸せだったなんて知らなかった。
そして気付いた。
僕がずっと欲しかった「幸せ」。
それは
「自分が自分自身に守ってもらうこと」
だったんだって。
大好きだった愛犬が死んだ時
「絶対に幸せになる」って。
「自分を守るよ」って。
僕は愛犬と約束した。
命は、決して永遠には続かない。
いつか必ず 誰しも 終わりが来るのだということを悟った。
それから僕は自分の心の中に隠していた想いや悲しみと向き合う事にした。
僕はあまりにも 自分から逃げ過ぎていた。
何もかも無意識に丸投げをしていた。
自分と向き合う事は、正直とても怖いし、恐ろしい。
今まで自分が見ようとしてこなかった
避け続けていた心の核心を直視するということだから。
でも それでも
泣き叫ぶ程の悲しみを 苦しみを 辛さを 引き受ける事になったとしても
僕はもう、自分からは逃げない。
誰にも
自分にも
見てもらえなかった
認めて貰えなかった本当の想いを知る事は
僕にとって かけがえのない 「希望」であり「幸せ」なのだから。