自分が受けたストレスやいじめも、いじられた心も容姿も、その全てが「氏名」と結びついている。
自分は男だが、人生で自分の身近にいた男性にいじめられ過ぎて自分が死ぬほど嫌いだ。
その一方で身近な女性は社交性が高いし優しいが、自分は「自分をいじめるような男が好きな女」が嫌いだ。
自分という存在がどこまでいっても嫌いにしかならない。こんなセーブデータじゃなければいいのにといつも思う。
ストレスに耐えきれなくて、それでもどうにか生きていく理由が欲しくて目覚めてしまったことが、恐らく解離症状なんだと思う。
「苗字・名前」と「顔・体」という情報を照合して「個人」を認識するだろう。
どうしてもそれらの要素を自分は受け入れられず、整形をして名前を変えたいが、そんな金も理由もない。
いかにも普通の名前だから「やむを得ない理由・正当な事由」なんてものは対外的に見て何も異常などないのだ。
だからこれからも現在の名前は「自分のことらしいけど受け入れられないこの世で最も嫌いな人間の名前らしい。そしてそれは自分の名前らしい、自分は関係ないけど外殻の名前らしく、自分はこれからもそう呼ばれる」なんてまどろっこしい認識を死ぬまで抱えていなければならないのだ。
自分が受けたストレスやいじめも、いじられた心も容姿も、その全てが「氏名」と結びついている。
死ぬまで忘れさせてはくれないのだ。この「変更不能の至って普通な氏名という呪い」が。