生きてる価値はなんだろうかと考えて病んで真っ暗の部屋であれこれ塞ぎ込んでみたが、やはり着地はいつでも、生きてる価値を考えるだけ無駄だという結論に落ち着く
そもそもなぜこんな自分に生きている価値が存在するかもしれないと思い込んでたのか
いつからだ
価値のある人間なんかいない
自分にも価値があるはずなのに、こんなになってしまうなんてこんなにダメ人間だったなんて、もしかしたら価値がないのかも、そうだきっと価値がないんだ全部やめてしまえと
もしかしたら価値がないのかもって肩を落とすのは言い換えれば傲慢な自信過剰だ
価値がないと初めから思っていれば、自分に一切の期待もしていなければ、価値のなさを目の当たりにしたって何も傷つく理由はないはずだ
じゃあなぜ傷ついたか?なぜ絶望したか?
期待していたからだ
価値がない自分なんかダメだ死んでしまいたいと思うことはよくある
今もそうだった
でも気づくのはいつも、いやみんな価値なんか持ってないだろ、なのに自分含めみんな、人間は偉そうに当たり前に生きてるってこと
自分だけが価値のなさを理由に死ぬべきだと思うのなら、この世の全ての人間は死ぬべきだと思っているのと同じことだ
みんな私と同じように価値なんか持ってないんだから
それは偉そうにしてる周りの人間より更に偉そうな姿勢だ
自分が周りの人間みんなの命を左右できる何か強大で絶対的な存在だと思い込んでる
大きな矛盾だよ
自分の価値のなさを認めていながら、そんな強大な力を握ってると思い込むなんて
卑下か傲慢か
果たしてどっちの感情が本当の心根なのか
自分には価値がなくてだから粛々と生きていかなくちゃって自分を卑下して可哀想に肩幅縮めて生きていこうとする、それなら、その傲慢な態度もやめたらどうだ
その、価値のない人間は死んだほうがいいという傲慢な思考回路は捨てたらどうだ
こんな短い寿命の中で何ができる
何を変えられる
何かを変えた偉人だってたまたまだ
私だってあいつだってかつての偉人を取り囲んだシチュエーションが揃えばそうせざるを得ないだろうしその結果何かしらの偉業を成し遂げてただろう
価値がなくても生きてるんだみんな
価値を得るために何もしてないくせに、元からあたかも所与の価値が存在しているかのように思い込み、当たり前に無意識にそれを前提にして、蓋を開けてみたら何もなかった、そのとき思い詰めるのは馬鹿だよ
そして、私と同じように価値もないただの人間のくせに私を攻撃する奴も、また同じように馬鹿だ
私はお前らに舐められていいほどぼけた存在じゃないし、また私はお前らを馬鹿にしていいほど偉くもない
結局みんな同じように馬鹿でぼけた、所詮人間だ
嫌いなあいつも嫌いな自分もみんなどうせ同じ弱くて強がるゴミ人間だ
てんで同じ全く同じ
つまりだ
あいつを叩くことは自分を叩くことと同じで、
あいつが私を叩くことはあいつがあいつ自身を叩いてるのと同じだと言えるんだね
馬鹿馬鹿しい
もう今日は考えるのはやめだ
このまま考え続けたってどうせ私には明白で心から納得のいく素敵な答えなんて出せるわけがない
思考という行為自体すら既に傲慢さを孕んでいるのかもしれないし