震災で家族を亡くされ、やり場のない悲しみに涙してる方を見ると、「私の命、亡くなられたご家族のどなたかにあげれたらいいのに」と思う。
私はバツなし独身。もうすぐ定年。
配偶者なし、子供なし。子供はもう絶対授からない。
この年齢で配偶者を望んでも、それはよほどの奇跡でもない限り、出会うことはないだろう。
家族も家庭もない私。
汚部屋で孤独死する最期を他人事に思えない。
自分を必要としている人がいるのに、
愛し愛されたい関係にあるのに、未来があるのに、
なぜ突然命奪われてしまうのだろう。
なんの罪もないのに。
私はなぜ生きているのだろう。
愛し愛される関係にない立場なのに。
授かった命を自分のために、人のために、社会のために、
と言い聞かせても、行動してみても、
孤独はなくならないばかりか、歳を重ねるごとに重さを増すだけ。もう生きていることが辛い。
命が交換できるなら、亡くされたあなたのご家族に、
私の命あげたい。私には家族がいないのだから。
誰かの笑顔になれて、自分も孤独から開放されるのなら。
神様なんていないと思う。
神様がいるとしたら、
愛したい人、そのままのあなたを愛してくれる人
その人が自分にとっての神様だと思う。
なんの罪もない方から、笑顔を奪うもの、
この世から消えてほしい。
ななしさん
初めまして、小瓶主様。
昔から私も“この命を誰かにあげられたら”
生きていて欲しい、死んで逝く命に、代わりに私が死んで、この命をあげられたらと思って生きてきてしまいました。
小瓶主様にしてみたら、私なんて、まだ若造です。
それでも、世界は醜く、誰かが誰かを奪う事で廻っている。
戦争や災害、暴力や虐待……あげればキリがない程に此の世は邪悪に満ち満ちています。
神様が“平等”を主張しても幸せなんて何処にもない。
それを小さい頃から見て、感じて思います。
身内でさえも守れない人。愛する人でさえも傷付けて、自分の思い通りにしようとする人……暴力、暴言だけの世界。
もし、出来るのなら……例え、小さくても、大切な命が笑って、幸せでいてくれるのなら私はその人、その命に私の命をあげたい。
私も子供はいません。多分、作る気は起きないでしょう。愛する人でさえ、傷付ける人が身内にいたので。生きるのも苦痛ですが、子供を見るだけでそれを思い出し、苦しみます。
普通の家庭だったら……そう思う事もあります。子供を愛する事が出来る幸せな家庭。
幸せになるべき人や命が幸せになれる世界。
奪うものが何もない世界があったら、みんな幸せな世界があったら……誰も傷付かずに生きていけたのに……。