時折、宛メの砂浜に流れ着いている……『優しい言葉』が詰まった小瓶は――
わたしには、響かなかった。
あれは
今まで頑張って生きてきた人たちに向けられた言葉だ。
あれは
今まで愛されてこなかったものたちに向けられた言葉だ。
そんな風に、ぼくには響かないのだ。
でも、そんなぼくがいるから……
「うっせえバーカ」
「綺麗事言ってんじゃねえよ」
って思うわたしがいるから……
助かる人もいる。
自分に助けれない人は、誰かが助けてくれる。
代わりに、誰かが助けれない人を自分が助けるんだ。
ちなみにこれはあくまで思考のひとつ。
ただの文章といってもいい。
さっきの「」内のようなことを思うことは、本当にあるけれど。でも忘れないでほしい。
貴方が届けるその言葉で、心が軽くなる人がいることを。
救われるものがいることを。
君の言葉に不快になるものたちのことは気にしないでいい。その人たちは、同じように君の言葉で不快になる仲間が救いだすよ。
だから君は、君の言葉に救われたものたちと共に笑って。
そのために“みんな”がいるんだ。
必要なんだ。
誰かが、誰かの味方をするために。
ぼくと同じような人を救うために、ぼくは必要なんだ。
自分を救うために、自分が必要なんだよ。
死んでる場合じゃないんだ。
綺麗事だと思われる言葉も、君自身も、「いらない“わけない”」だろう。
どうでもいいわけないんだよ……
僕一人生きて、そしたら過去、現在、未来……僕と同じように生きるものがどれだけ救われるだろうか。生きることを証明できたなら。いったいどれだけの人を救える……?
あーあ、だめだ。
脳内に浮かんでしまった。
生きないほうがいい人間。けど、そんな人間も、そんな人間の仲間になれるんだから、やっぱ生きてていいや。
たとえ私を殺そうと。私の大切な人を殺そうと。
私の大嫌いな行動をしようと。
ボクはね、そういうの全部肯定しようとしちゃう人だよ。
これもあくまで思考だから、実際そうなったらっていうのはわからない。
罪を犯したら、償うべきだとは思う。
どんなに生きづらくても、人が作り出したルール内で我慢して生きるべきだとは思う。最悪なのはわかる。
だから私が考えるのは、どんなに誰かを殺したくても殺せない苦しみはどうするべきか……とかそういうの。
最近【僕のヒーローアカデミア(6期1クール)】見たんだけど、宛メにいる人たちはヒーローとヴィラン、どっち側に付く人が多いのかな〜?なんて思ったんだ。
ま、一般市民や第三勢力なんて答えもありかな。
ボクは欲張りだし、どの立場も経験したーい!
私はいうて普通なんで、ヒーロー応援側なんですけどね!
つーかこれ大丈夫ですか〜?
運営さんへ
しっかり読んで判断お願いしまーす。
不安でーす。
ではまた〜