きっと、私の勘違いなのだと思います
必要以上に自分を卑下してるだけなのだとも思います。
愛されたいって思うことが変だと、友人は言いました。
愛されたいとこぼした時友人は「大丈夫でしょ、君は」と言いました。ちょうど、友人が恋人関係で相談してきたときでした。
今思えば、なんで気持ちを吐露してしまったのかと後悔します。それになんで、相談してきてくれた子に迷惑のかかることを言ってしまったのか罪悪感に苛まれました。
羨ましかったのです。友人は、先輩たちに愛されていました。友人は恋愛で苦しみ悩む子。だから、心配され声をかけられ愛されていました。いえ、友人には人に愛される要素があったのだと思います。私にはない、愛されるところ。
苦しみ悩む友人を見て、羨ましい。愛されたいと思う私は、最低で自分自身に消えてほしくて途端にそこに立つのが怖くなります。そして同時に、なにかわいそうぶってんだよと思うのです。悲劇のヒロインぶってるんじゃねぇよって。そう思って、私がわたしに辛いと苦しいと思うことが許せない。
愛されたい。生き苦しい。そう思ってるはずなのに、思い切れない。だって本当はきっと辛くないんです。多分、悲劇のヒロイン演じてるだけなんです。
あぁ、でも苦しい。傷に依存してるのも、きっと自分を可哀想にしたいからなのだとわかっています。
でも、消化できないのです。
最初は、母に褒めてほしかっただけ。優しいときと怖いときの差が激しくて、手をあげることだって少なくなかった母。物投げられること、首絞められること、真冬に氷の入った水をかけられること…。普通だと思ってたよ、今でも多分それは普通のことなんじゃないかと思う。だって、私が悪いことしたから。悪い事したら怒られるのは当たり前。だから、私の勘違い何だと思います。
きっと母は褒めてくれてた。母なりに、愛情を注いでたんだとわかっています。優しいときもあったから、好きな本を買ってくれた、何でもない日にゲームだってくれた。でも、時々凶変する母がひどく怖かった。
私は、愛情を受け止めるのが下手だった。だから、愛されたいが満たされなくて抱えきれなくなるくらい肥大化してしまったんです。
手放したいのに、手放せない。
愛されたいが強いって苦しい
支離滅裂でごめんなさい。
それに長文なのに、読んでくださってありがとうございました。
ななしさん
私があなたの力になることは出来ませんが、
すごく共感しました。
私の母も私に興味があるようで、ない人でした。
優しい母は、面白くて、私の為に何もかもやってくれる人でしたが、少し怒れば、叩く、廊下に立たせる、ものを投げる。
そうならないように、小さい頃の私は母の機嫌をとるために必死でした。
私はいつも、
「お母さんは人間だから、仕方ない。育て方なんて知らないよね。私がお母さんに合わせるしか無いんだよね。」と思って、自分が悪いといつも思っていました。
でも、いくら何でも、辛くて私のせいじゃないって思わないと存在価値がないと思って、
母に反抗するようになりました。
私は先輩からも、友達からも、家族からも好かれなかった。
でも、だからと言って自分が悪いと思うと、
しんどくなるから、たまには他人のせいにしてみませんか?
細かいことで怒ったお母さんが悪い。
そんな伝え方したお母さんが悪い。
私はそう思うと少し楽でした。
いつか愛してくれる人が出来ますように。