これまでこの世の中で割と頑張って生きてきた。
親や大人が決めた正解がある生活の中で、良い子であることが自分の価値だと思ってた。
いい子であるから存在していることが許されると思ってた。
小学校→成績優秀、習い事も要領よくやる
中学校→テストはいつも上位 部活の成績も良い
高校 →地元の進学校に合格
大学 →有名私立合格、就活も3年生には内定獲得
自分で言うのはなんだけど、優秀だったと思う。
親にとっても正解のルート。子育て大成功だと思っただろうね。
ただ、これだけは親に伝えたい。
あなたの子育て、失敗してますよ。
生まれたのは他人軸でしか価値を判断できない
大人子どもでした。
社会人になって、世の中にいろんな人がいることを知った。正解は一つじゃないなんて日常茶飯事だった。だけど「間違い」が怖くて怖くて誰にでもいい顔してた。あるはずのない一つの正解を探して1人でもがいた。
でも、ない。誰にも文句を言われない正解がどこにもない。
正解を出せない今の状態が怖い。
これまで頑張って頑張って頑張って、親や周りの価値観で正解してきたのに、それで出来上がったのは何をするにも足がすくんでその場から動けない人間だった。
幼い時、「間違い」と言われていた同級生が今は自分の足で立てる「正解」の人になってる姿をみて、
「ああ、私は世の中におけるダメな方の人間なんだ」と思うようになった。
「ダメな自分」が存在していることが許せなくて
何回も何回も早く寿命が尽きることを祈った。
仕事で些細なミスをしただけで、わからない仕事の納期が近づいても誰にも聞けなくて、死にたかった。
根付いた価値観はもう消えない。
こんな苦しい世の中なら
早く終わらせて自分丸ごと消えてしまいたい。
それが自分の中で今唯一の正解かもしれない。
ななしさん
親や教師が望むような学生であることが正しいと思っていたら、社会に出たらそうではなかった、というのは、私も嘗て感じた事でした。
ただ、私の場合は自分が思っていた以上にポンコツだったので、自分のダメさを認めざるを得なかったです。たはは。
でも、全方位どこから見ても完璧に立派な人っていないと思うんです。
ある面では優秀でも、別の面ではポンコツだったりするんじゃないのかな。
正解がないという事は、多少間違っても大丈夫という事でもあると思います。
良い子でなくても、ポンコツでも生きてていいし、それどころか好きなこと・やりたいことをやっていい。
私たちに与えられている自由の範囲は、とても広いです。
小瓶主さんも、好きなことをしてほしいなと思います。