不登校ってたぶん、他の人から見たらつらさが分かりにくいと思います。
体調が悪かったら苦しそうなのもなんとなくわかるけど、不登校って心の問題のことが多いから、表面から見てもあんまりわからない。
自分が経験してないこと、想像がつかないことは、言葉にして伝えてもらってやっと少し理解できると思うので、
私の経験を話すことで「少し理解できる人」が増えたらいいなぁと思って、書きます。
もちろん、私の経験が全ての人に当てはまるわけでは決してありません。
不登校の中身って十人十色だと思うので、あくまでも一例として、聞いていただきたいです。
私が不登校になったのは、14歳(くらい)の頃でした。
それまでは環境に恵まれて、のほほんと生きてきました。
これからもこんな感じだろうなーと思ってたときに、
人生における壁みたいなものに3つくらいぶつかったんですね。
半年で3つくらいだったかな?
どんどん壁は増えていくし、壁が高すぎて越えられなくて、壁の前でうずくまっていました。
その壁の1つが、初めて人に、直接敵意を向けられたこと。
その子にたくさん、自分の悪い部分を指摘されました。(直接教えられたわけではなくて、悪口を聞かせられた感じ)
自分そのものが、間接的にではなく直接的に否定されるって初めてで。
ひとつひとつの言葉が、深く心に突き刺さりました。あれは痛かったな。
毎日真正面から受け止めて、自分の内面は醜いんだって思うようになりました。
それから、ほぼ同時期に初めての挫折も経験しました。
割と得意って思ってたことなのに上手くいかなくて、
自由時間を返上して、毎日ひたすら勉強してたのにちっとも前に進めなくて。
勉強しかできないって思ってたのに、勉強もできなくて。
自分の能力の無さを知りました。
両方が重なって、自己肯定感が地に落ちました。
自分の内面にも価値がないし、自分の能力にも価値がない。
それに気づいてしまったら、あれ私ってなんの価値もないじゃんって思ってしまった。
なんの価値もないのに、どうして生きてるんだろうって、毎日考えていました。
そう考えるようになったら、周りがみんな敵に見えるようになったんです。(これが3つ目の壁)
自分に自信がないから、周りは私を攻撃するに違いない、という思い込みからだと思います。
あ、あの人たち、私のことを笑ってるんだ。
あの子、今私をにらんだんだ。
お父さん、私のせいでため息ついてる。
今考えれば被害妄想だったな、とわかるけど、あの頃は本当に攻撃された痛みを感じて、どんどん傷が増えていきました。
毎日、敵だらけの世界で生きてました。
攻撃から身を守る方法を何も知らず、ただただ痛みに耐えていました。
今なら、もし攻撃されてるって感じちゃっても、「たぶん今日不機嫌だったんだろうな」とか、「目が悪くて目を細めてるのかな」って考えることで、心を守れます。
けどあの時はそれができなかったんですね。
戦闘力は0、防御力も0。
それなのに戦いに連れ出され、HPが0になっていても退場することができない。
傷ばかりが増えていきました。
そして14歳の私は、それが世界のすべてだと思ってたんです。
今までは幼くて、世界の本当の姿が見えてなかったんだ。世界の本当の姿は、今見えてるこれなんだって。
敵だらけの世界があと数十年続くって思ったら、気が遠くなりました。
例えるなら、真っ暗で息苦しい箱(=世界)に、閉じ込められたみたい。
しんどくて息苦しいのに、出られないんです。
人生100年時代なら、あと80年とか85年とか、ずっといなきゃいけないんです。
その息苦しい箱の中に、ちょっと息がしやすくて、ちょっと明るい場所があれば、ずっとそこにいたいって思いませんか?
私にとっては、それが「家」でした。
私の世界が息苦しい箱に変わってから1年か半年くらいしてから、しばらく家にいたいって、母にSOSを出しました。
あのとき、母が私のSOSを受け取ってくれて、本当によかったなって思います。
もし受け取ってくれていなかったら、今頃どうなってたかな。
私の心は、あの頃限界でした。
神様は乗り越えられない試練を与えないって言葉を聞いたことがあるけど、与えることもあると思います。
だってこの言葉が本当なら、自殺する人はいないと思いませんか。
子どもの発する「死にたい」って、大人が考えるより、たぶんずっと重たいです。
私に言えた「死にたい」は、色々考えた気持ちがぐつぐつに煮詰まったあと、カラカラに乾いた鍋にこびりついた気持ちを、冗談混じりにちょこっと吐き出すだけでした。
ただ気まぐれで言っただけ、って思われていたと思うし、今もそう思われてるだろうな。
無理なときは、ちゃんと逃げてほしいです。
心が壊れてしまったら、治るのにすごく時間がかかるから。
ちょっときついなと思ったら、その都度ケアをしてあげて。
不登校の子本人だけじゃなく、親御さんやお友達も。
自分の身近な人が不登校になったら、動揺すると思います。
原因を考えたり、自分にできることを探したり、将来のことが心配になったり。
その子のことで、いっぱいいっぱいになっていませんか。
自分の時間、ちゃんと取れていますか。
1日に1分でも、5分でも、自分だけの時間を取ってあげてくださいね。
自分が不安定になってしまったら、他の人を助けることもできないから。
まず自分の心の声を聞いてあげてください。
ただ一つだけ、お願いがあります。
「悲劇のヒロインぶってる」って言葉は、使わないでください。
この言葉の破壊力は凄まじいです。
自分の苦しみの存在を否定されたと感じるし、弱音も泣くことも認めない、と受け取ることもできます。
弱音も吐けず、泣くこともできなかったら、たぶん今の数十倍、人生がハードモードになります。
本人の前じゃなくても、なるべく使わないでほしいです。うっかり聞いてしまったら、より深く傷ついてしまいます。
こういうときの傷って、ずっと残ります。
私も、言われたときの状況も声も、頭にこびりついてます。
この言葉を放ってしまう気持ちも、今なら理解できるんです。
仕事や家事を、ストレスが溜まりながらも頑張っているのに、学校に行かずにただ引きこもっているように見えていれば、モヤっとしますよね。
でもちょっとだけ立ち止まって、思い返してくれませんか。
自分が小学校、中学校、高校の頃のこと。
見えている景色が全然違いませんか。
大人たちが大変な苦労をしていることに、思いを馳せていたでしょうか。
その頃の自分が、大きな壁にぶつかったら、どう感じますか。
少しは、今と感じ方が違いませんか。
子どもの頃の傷は長く残ります。
治すための時間をください。
なんて。
あの頃を思い出しつつ書いてみました。
客観的に見たら、あんまり大したことじゃないなぁと思いつつ。
でもあの頃の私は本当に苦しくて。
中学で不登校だった私が、今毎日学校に通ってるなんて、ほんとえらい。
自分で自分を褒めます。
自分が頑張ってるのは、自分が1番見ているからね。
自分が1番に褒めてあげよ、っていうのが最近の私。
自分を責め続けてたあの頃とは正反対です。
ここに来るまで、4年かかりました。(心が回復するまでの時間は個人差が大きいと思います)
世界はあれが全てじゃないよ、きみが知らない楽しいことがいっぱいあるよって。
あの頃の私に伝えたいな。
伝えたら絶対、「そんな何年も耐えれないよ!」って言われるけど。あの頃は一年が長かったから。
でもきみが頑張ってくれたから、生きてくれたから、今の私がいるんだぁ。
頑張ってくれて、本当にありがとう。
誰の役にも立たなかったら、ただの自己満足になっちゃうけど、それでもいいなって思って書きました。
自己満足ってすごいですよね。
自分だけで自分を満足させられるんだから。
だから自分が言いたいことを言い合うだけの会話も、私はアリだと思います。
お互い満足できるんだから、win-winですよね。(好んでしようとは思わないけど)
自分のことで精一杯で、みんな私を見てる余裕はないから。私は今日も自分で、自分の心を満たします。
時々過去を振り返って、ここまで生きた自分を褒めます。
今日の空は見ましたか?
空はいつもきれいですよ。
心がどんよりしていようが、絶望していようが、空はいつでも、心を癒してくれます。
風を感じてますか?
心が重いとき、風はふわっと少し軽くしてくれます。
しんどいときは忘れがちだけど、そんな小さなことが、私を何度も助けてくれました。
(もちろん宛メも。紙でもスマホでもいいから、自分の気持ちを文字にして書き出すのって大事です。それだけで少しすっきりします。)
何も考えない時間を作ってくださいね。
何もかも横に置いて、休憩する時間を取ってくださいね。
少しでも多くの方が、心穏やかに過ごせますように。