『相手の言葉が本心かどうか』も
『自分の言葉が相手に本心として伝わるかどうか』も
どうでもいいな。って考えた話。
これはまあ……
ひたすらに自分にしか興味ない、自分の感情にしか興味ないっていう、本当に他人のことなんかどうでもよくて自分の信じることしか信じない。信じたいことしか信じない。みたいな思考が基?なのか?
……と、こんな話を書こうとして「死にたい」という言葉で埋め尽くされる現状の脳内ではつづきの言葉が出てこず。
書きたい!と思った構想を崩されて潰されて隠される。
無理して何かを伝える必要がどこにあるのかわからないまま、無理してでも何かを伝えたいとも思う。
“本当に嬉しいし、でも同時に確実にそれは、上辺の、作られた言葉であった――”
ぼくの紡ぎ出した文字に、ぼくはそれらの設定を付けて、それを盲目的に信じてる。
他人の世界でぼくの文字がどういう感情を帯びていようと、ぼくの世界の文字は、ぼくの思いにしか応えない。
君が発した言葉も、受け取ってしまえばぼくのものだ。心の中では。ぼくが勝手にそれに設定を付けていいんだ。脳の内では。
「解釈違いです」と。公式の設定に異議を唱えるめんどくさいオタクのように、なっていていいと思ってる。そういう空間が存在していいと思ってる。それは己の内側の世界のみか、仲間内のものか……とかく生きづらく生きにくい社会にオアシスを建造しよう。
王様でいていい。
ぼくの紡ぐ「ありがとう」は嘘である。と。
ぼくの紡ぐ「ありがとう」は本物である。と。
ぼくの意見が絶対だ。自分の中ではね。
207795通目の宛名のないメール
お返事が届いています
名前の有る小瓶
(小瓶主)
ななしさん、ありがとうございます。
歌手と聞き手かあ、なるほど!
互いに許し合う心があれば……ですね。ななしさんの言葉を受け取れて良かった。お返事くださりありがとうございました。
名前の有る小瓶
(小瓶主)
ごろー さん、こんにちは
お返事ありがとうございます。
ちょうどこの次の小瓶で「持論を話し始めるのは大歓迎」って書いたのもあって、とても嬉しいです!
ごろーさんの、この場において使われた【本体】の表現、とても素敵だなと思いました。
本体は本体として、自分の内にも相手の内にも存在し、それらは他者に捻じ曲げられ侵されるものではなく、その上での配慮等々……
なんだか固い表現になってしまった気がするけれど、うまく自分の今の心を伝えられないけれど、
ごろーさんの書いてくださった感覚を私なりに受け取り、「良き」と感じたことと
持論聞かせていただきありがとうございました!って気持ちです。
ななしさん
歌手と聞き手のような繋がりですね。お互いに許し合えるからこそのゆるやかさ、優しい世界なのでしょうね。
ごろー
こんにちは、名前の有る小瓶さん
ほぼタイトルにしか反応してないし、ただの持論を書いてあるだけです。
申し訳ない
> 『相手の言葉が本心かどうか』も
> 『自分の言葉が相手に本心として伝わるかどうか』も
> どうでもいいなって考えた話。
自分のこころの世界というものを大事にするなら、
相手のこころの世界も大事にしてみて考えると
少し面白い視点になるかと思います。
=========
私は、このお返事のなかで、
以下のような雰囲気で本体という言葉を使います。
人の心にあるいろんな情報【心情や背景】などを含んだ複雑なもので構成される存在。
==========
> 『相手の言葉が本心かどうか』
発言をした相手のかた。
この人のこころの世界に発言の本体が存在すると私は思うのです。
> 『自分の言葉が相手に本心として伝わるかどうか』
これもまた、
伝えられた方。
この人のこころの世界にどう感じたかという本体があると思います。
もちろん、逆にもなります。
何かを言ってもらったときに自分のこころの世界で、どのようにでも決めていいことです。
なにかをいうときにどんな思いを込めたかも、
自分のこころの世界で、覚えている内容でいいと思います。
まあ、何が言いたいかというと。。
相手のこころの中にある本体を勝手に決めつけたりするのは、、、
また、相手の心の中の本体を覗こうとするのは。。
決めつけとか覗きというのは
全般的にあんまり好きではないなぁというのが私の感覚ですかねー。
というおはなしでした まる
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。