つかれた。
わかってる。浮き沈みは、誰にだって多かれ少なかれあるものだって。
結局は、浮き沈みを受け入れて一緒に生きていくしかないってもう知ってる。
でもやっぱり沈んだ時は、しんどいし、つかれる。
せめて誰か、いま話を聞いてくれる人がいてくれたら。何か違うだろうか。
心の渇きを必死に誤魔化して、自分は幸せだって、これで満足だって、自分自身に暗示をかけて幸せなフリ、大丈夫なフリ。
ほんとは私ぜーんぜん大丈夫じゃない。
学校に行ってるのも、ぜんぜん平気じゃない。しんどい。つらい。つかれる。でも、平気なフリ。
誰も私のこと気にしてないってわかってるけど、でも、また、普通でいられるように、目立たないように、息を殺して1日を過ごす。
進路、志望校、勉強、受験、、、。
疲れた。みんながすごく見えてしまう。
人と自分を比べることは精神衛生上、良くないことです。
はい、知ってます。止まらないだけです。人と比べるのはやめよう、あの人にはあの人の良さがあって私には私の良さがある、そんな風に考えようとしても、止まらないだけです。頭の中でずーっと。彼はこんなことしてて、彼女はあんなことまでやっちゃって。止まらないんです。やめようと思ってやめれるんだったら、みーんなハッピーです。
誰かのせいにして、責任転嫁して、自分に逃げ道用意して、嫌なことはぜーんぶ見てないフリ。
だってそれが1番楽なんだもーん。逃げは何も生まないとか言われたって、知らんし。
ネガティブな時にさー、読みたいのはさー、ひたすら著者のネガティブを綴ったエッセイだよね。
ポジティブシンキング命!だとか、ネガティブも君の一部だ!だとか、そういうのじゃなくてさ。
どう頑張ったってしんどいもんはしんどいー。だとか、みんななんでそんなに頑張れるわけ?まじ人生無理。だとか、ひたすらそういうネガティブを綴ったエッセイが必要なんだよね。誰か書いてくれないかな。
所詮、ポジティブな言葉というのは、ポジティブな時にしか響かんのです。
ネガティブな時は、ネガティブな言葉で、励まされるんです(もしかしたら人それぞれなんだろうけど)。
深夜1時半。シャワーができず、洗面所に正座する。